体も気持ちも重くて、何だか学校に行きたくない〈ソーシャルワーカー鴻巣麻里香 10代の相談室〉2
相談:どんよりしてやる気が出ないけど、こんな理由で休めない
何だか学校に行きたくありません。特に何も嫌なことはないはずなのに、体も気持ちもどんより重くてやる気が出ません。高校での毎日の授業や部活のリズムにも慣れてきたのですが、最近、何となく疲れて「学校を休みたいな」と思うようになりました。でも、こんな理由で休めないし、どうしたらよいでしょうか。(高校1年、男子)

イラスト・東茉里奈
連載「10代の相談室」
精神保健福祉士の鴻巣麻里香さん(45)が、中高生を支えるソーシャルワーカーの立場から、10代の悩みや葛藤をときほぐし、向き合います。保護者や学校の先生など周りの大人がしてしまいがちな、子どもたちをつらくさせる言動への対処の仕方も丁寧に伝えます。回答の最後には、10代を見守る周囲の大人へのメッセージを「大人のみなさんへ」としてつづります。
回答:自分の「休ませどき」を知ろう
毎年5月の連休明けから、このような相談が増えます。疲れた、やる気が出ない、学校に行きたくない、特に理由はないから親や教師から「どうして?」と聞かれても答えられない。だから休めない、休んだらいけない…と無理をするうちにどんどんつらくなり、やがて長い期間欠席してしまうこともあります。
さて、本当に「理由がない」のでしょうか。そして理由がなければいけないのでしょうか。
前回も書きましたが、4月からこの時期にかけては変化が多い季節です。進学やクラス替え、新入生との出会い、教師の顔ぶれが変わる、学習の内容が変わるなどです。その変化がネガティブなものであってもポジティブなものであっても、自分に直接関係がない「まわり」の出来事であっても、変化そのものが人の心を疲れさせます。
そして、人の心が自然に変化することについても理解が必要です。人の体には波があります。なんとなく体調がいい時もあれば、悪い時もあるはずです。気圧や気温、女性の場合は特にホルモンバランスの影響を受けます。心も同じで、波があります。ゆるやかに上がったり下がったりするのが自然です。そして人それぞれその波形は違います。
自分の調子の波に合わせて休んだり、何かに取り組んだりができれば良いのですが、ひとりひとりが異なるスケジュールで行動したのでは、学校運営に混乱が生じることも事実です。ですので、土日祝日や長期休暇という社会的なスケジュールに、それぞれの生徒が自分の心と体を合わせ、そのスケジュールに沿って自分を休ませることになっています。
そのスケジュールにうまく合わせることができれば良いのですが、難しい場合もあるでしょう。そうなると、登校することになっている日にどっと疲れが出て調子を崩してしまう、ということもあり得ます。
「合わせなきゃ」がつらくなる時期
また、4月に新年度が始まり、学校のスケジュールに体を合わせようと心と体調の調整を頑張ってきたところに、大型連休が訪れます。連休は疲れをとるための休息の機会ではありますが、調整が一度リセットされることにもなります。
そして新年度が始まって1カ月たったこの時期には、それまで「合わせなきゃ」と自分に負荷をかけていたことに、つらさを感じ始めます。
最初は気が合うなと思って近づいた人に対して、少しずつ自分と「合わないな」と感じることもあります。楽しいと思って始めたことでも、実は自分には合っていなかったことに気づくこともあります。そういった違和をあちこちで感じ始めると、合わせることが苦しくなります。
さらには、休むべき日になかなか休むことができないという事情もあるでしょう。土日や長期休暇が部活で埋まってしまう、塾や習い事が入っている、あるいは家族の立てた予定で出かけなければならないなどです。
「休み」というのは、「何も予定のない日」ではありません。「休む」という予定が入っている日のことです。そこにさまざまなアクティビティーを詰め込んだら、疲れはとれにくくなってしまいます。
もちろん、何が効果的な「休み」になるかも人それぞれなので、休息をとるだけでなく、体を動かしたり外出したりすることで気分や体調がリセットされて整う人もいるでしょう。それぞれに合った自分の休ませ方を選ぶことが大切で、ただ予定がないからといってそこに(主に大人の都合で)アクティビティーを詰め込んでいたのでは休息になりません。
このように、実はこの時期に学校に行きたくなくなる、なんとなく疲れる、やる気が起きなくなる理由がたくさんあるのです。まずそれを理解し「理由がわからないけど行きたくない」自分にダメ出ししてしまう気持ちを手放してあげましょう。
自分の体と心の波を大切にして
休みたくなるのには理由があります。ですが、そもそも「理由がなければ休んではいけない」という前提がおかしいと思うのです。
大人が働く会社のほとんどには有給休暇制度があります。それは理由に関係なく、休みたい時に休めるという権利です。会社は従業員に「なぜ休むのか」の理由を尋ねる必要はなく、従業員も理由を伝える義務はありません。1年間で使える日数は決まっていますが、大人には理由を問われず休む権利があります。
子どもも同じ権利が守られなければならないと私は考えます。
休みたいのに理由が言えない、わからない。それでも休んでいいはずです。まわりの大人が「理由がなければ休むことを認めない」のであれば、そちらが間違っています。理由なく休むと「休みグセ」や「サボりグセ」がついてしまうと誤解する大人もいます。もちろん「休みたい時はいつでも休める」では、自分でも少し心配になるでしょう。
「休む」と「行く」との間には「ちょっと頑張って行った方が自分にとってよさそう」や「頑張れそうだけど今無理すると後でもっと休んでしまいそう」など、さまざまな状態があります。今自分がどの状態かを理解するためにも、「疲れを感じたら休んでいい」という前提が必要です。
自分の体と心の波を大切にして、自分で自分の「休ませどき」をちゃんと理解できた方が、学校やその先のさまざまな場所(会社など)で、持続的かつ健康に自分を所属させることができると思います。
大人のみなさんへ:子どもに「有給休暇制度」を
これを読んでいる大人のみなさんにひとつ提案があります。各ご家庭に「有給休暇制度」を取り入れることを検討してはいかがでしょうか。
実は、私は子どもが中学生の時に有休制度を取り入れました。わが家の場合は1年生で年10日、2年生で7日、3年生で5日と、体調不良以外で子どもが自由に休める休暇制度です。大人の有給休暇と同じく、私は理由を問いません。家でごろごろしてもいいし、平日に映画館や美術館に行くのもOKです。
1年間で使える有休チケット枚数は限られているので、自然と「今チケットを使ってしまっていいか」を自分で考えるようになります。ただ「休みたいから休む」だけでなく「休みたいけどチケットもったいないからちょっと頑張ってみよう」という動機づけにもなったのです。
もちろん学校へ伝える理由にはちょっと工夫が必要ですが、私の子どもの場合は自分で自分の調子をマネジメントして「休みどき」と「踏ん張りどき」を把握できるきっかけになったようです。
そしてもしこの時期に「なんとなく疲れた」「休みたい」と子どもに言われたら、それは子どもが「わたしはわたし」の軸を取り戻したいと願っているサインであると受け止めてください。
無理に周囲に合わせていたことに違和が生じ、心身の健康を保つための境界線や軸を取り戻そうとしているのかもしれません。理由を問う前に、まず「休みたい」気持ちをくんであげてほしいと願います。
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鴻巣麻里香(こうのす・まりか)
1979年生まれ。ソーシャルワーカー、精神保健福祉士。子ども時代には外国にルーツがあることを理由に差別やいじめを経験する。ソーシャルワーカーとして精神科医療機関に勤務し、東日本大震災の被災者・避難者支援を経て、2015年、非営利団体KAKECOMIを立ち上げ、こども食堂とシェアハウス(シェルター)を運営している。著書に「わたしはわたし。あなたじゃない。 10代の心を守る境界線『バウンダリー』の引き方」(リトルモア)、「思春期のしんどさってなんだろう? あなたと考えたいあなたを苦しめる社会の問題」(平凡社)などがある。
なるほど!
グッときた
もやもや...
もっと
知りたい