障害児と家族が生きやすい社会に 難病の娘を育てる父が重症児の通所施設を開所 働く親のため「午後5時まで」

古根村進然 (2025年6月30日付 東京新聞朝刊)
 岐阜市の森康行さん(36)は、勤めていた会社を辞め、3年余り前に重度の知的障害と肢体不自由を重複した重症心身障害児のための通所施設を岐阜県岐南町に開いた。小学2年の次女おとさん(7)が難病だと分かり、自身の仕事と娘の療育の両立が難しいとの判断から。「障害のある子どもと暮らす家族が、少しでも生きやすい社会にしたい」と願う。
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施設を利用する女児と触れ合う森康行さん(左)ら=岐阜県岐南町で

自宅や園・学校とは別の「第三の選択肢を」

 「上手にできたね。良かったね」。カエルの顔をかたどった画用紙に目を表すシールを貼り付けた女児に、そばの女性保育士が手を添えながら優しく声を掛けた。柔らかいマットが敷かれた施設の一室。続いて、別の青い画用紙に黄色の水彩絵の具で色を塗った。「一人一人の特性や体の状態を踏まえ、サポートを工夫している」と森さんは言う。

 2022年4月に始めた施設では、医療的ケアが必要で保育園などで受け入れが難しい障害のある未就学児のための「児童発達支援」と、特別支援学校の放課後や長期休みの療育のための「放課後等デイサービス」を提供する。施設名は「サードストリート」。自宅や保育園・学校とは別の「第三の選択肢を」との思いを込めた。

 利用者の定員は1日5人で、現在は町内外の2歳児~中学2年生の計9人が通う。自力で動くのが難しい子どもが中心。牛乳パックを使って父の日のプレゼントを作ったり、楽器で音を出したり。花見など四季折々の催しも楽しむ。看護師らも常駐し、利用時間は平日午前10時~午後5時。

短い受け入れ時間「仕事と両立難しかった」

 地元の小学校に通うおとさんは放課後に利用している。2歳のころ、難病のレット症候群と診断された。神経系を主にした発達障害で、運動機能の低下などの症状がある。「診断時に医師から歩いたり話したりできないと言われ、本当に悲しかった。『あと何年、生きられるのか』などについて考え、何度も涙を流した」

 仕事の問題にも直面。当時、森さんは地元企業の営業関連部門で管理職を務め、十数人の部下がいた。妻(35)も働いており、週1回のリハビリや通院の付き添いなどは、それぞれが有給休暇を取得したり、リモートワークで対応したりしていた。「自宅から通える施設を探したけれど、受け入れてもらえるのは午後2時までの施設などで、仕事との両立が難しかった」と振り返る。

 おとさんが通っていた保育園も、3歳児となる年度初めで退園を余儀なくされた。「ばりばり働く妻を応援したい」と思う一方、「自分たちと同じような経験を他の人にしてほしくない」と施設開設を決意。21年8月末に会社を辞めた。

 サードストリートの計画で、優先したのは「午後5時まで」の利用時間。働く人たちが利用しやすくするためだ。今年4月からは希望者に限り、開始時間も1時間前倒しして「午前9時から」とした。「今後は地域交流の場を設けるなどし、障害者が社会とつながり、周囲の障害者への理解も進むようにしたい」と意気込む。

在宅生活の継続に欠かせない通園・通所施設

 重症心身障害児者は全国で約4万3000人いる(2012年時点の推計値)。通園・通所施設は重症児者の成長や発達を促し、豊かな在宅生活を継続するために欠かせない存在になっている。

 全国重症心身障害児(者)を守る会(東京)の安部井聖子会長によると、常時、介護に追われる家族の休息や負担の軽減にも役立ち、同じ悩みを抱える人たちがつながる場ともなる。施設では看護師らの医療支援の下、保育士や児童指導員ら多職種の連携で重症児者の可能性を引き出すさまざまな活動が行われている。

 ただ、安部井さんは「たんの吸引や人工呼吸器といった医療的ケアが必要な場合、感染症にかかったり、熱を出したりするなどして体調を崩しやすく、親が頻繁に迎えに行く必要がある」と指摘。「親の就労のためには時間延長が課題だが、医療や福祉人材の不足などで延長が厳しい上、体調が不安定で疲れやすいため長時間の滞在が難しい重症児者もいる」と話す。

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