「みんな意外にゴキブリが好きなんじゃ…」 日本一充実した展示の仕掛け人 ゴキブリスト・柳沢さんに聞く存在意義

石川由佳理 (2024年11月13日付 東京新聞朝刊に一部加筆)
 突然、姿を見せたかと思えば、カサカサと素早く逃げていく。時には宙を舞うことも。名前を口にすることさえ嫌な人もいるだろう。そんな嫌われ者、ゴキブリの魅力を伝えるべく、「ゴキブリスト」と自称して活動する静岡県磐田市の竜洋昆虫自然観察公園副館長・柳沢静磨さん(29)。奥深いゴキブリの世界や、その存在意義を教えてもらった。

ゴキブリを愛おしそうに見つめる柳沢さん

虫捕りに夢中で、勉強は興味なし

ー元々はゴキブリが苦手だったと。

 昆虫で唯一、苦手でした。黒くて大きい外見もありますが、あの動きが怖かった。予測不能じゃないですか。でも、それも後付けの理由のような気がするんです。最初に嫌いになった理由が全然、見つからない。自宅でゴキブリが出た時、親が叫んでいるのを鮮明に覚えていて、そういうところから嫌いになったんじゃないかと思っています。

ーいつ頃から昆虫を追いかけていたのですか。

 気付いたら探していました。家族によると、物心つく前から好きだったみたいです。昆虫だけじゃなくてカナヘビなんかも。父が生き物好きで、虫はもちろん魚やヘビも。キャンプに行くと、ため池に網を入れて生き物を捕ってくれるのがすごく楽しかった。小学校低学年のころは、虫が増えすぎて家の中で飼いきれなくなったため、親に頼んで虫かごを置く棚をベランダに作ってもらいました。

 中学で自然科学部に入って標本作りの技術を学び、本格的に昆虫採集をするようになりました。虫にもシーズンがあって、「この1週間だけ捕れる」とかがあるんです。標本でしか見たことがない虫を見つけるのは刺激的。一日一日が惜しくて、早起きして自宅から自転車で1時間半かけて高尾山(東京都八王子市)へ行って虫を捕り、そのまま学校に向かったことも。虫以外には興味を持てず、成績は最低ラインよりちょっと上ぐらいでした。

 母は周りからいろいろ言われたようですが、「一生やっていけるものを見つけられたのは幸せだね」と言ってくれました。

ー進路が気になる時期です。

 高校受験が近づいても、虫捕りをしたいのに、なぜ勉強しないといけないのかと思っていました。そんな時に母から新しい都立高ができると聞き、調べてみると新設校では志願者数が募集定員を下回ることがあるとか。そういう時だけ僕は頑張って調べるんです。

 入試の日は名前と一問目だけ解いて、帰りに友達と雪合戦をしました。母に「どうだった」と聞かれて、雪合戦の話をしたら「聞きたいのはそれじゃない」って怒られたのを覚えています。何とか合格し、科学研究部生物班の班長として、生き物を飼ったり捕まえたりしていました。卒業後は新潟の専門学校に進み、就職しました。

来館者はゴキブリをよく見ている

ーゴキブリに魅了されたきっかけは。

 2017年に同僚と沖縄県の西表島に出張した際、身の危険を感じると丸まるヒメマルゴキブリを見つけました。ダンゴムシより少し大きいくらいです。身を丸めるとは知っていたものの、実際に目にすると、あまりの衝撃に森の中で叫び声を上げてしまいました。「本当にこんなに完璧に丸まるのか」って。ゴキブリといっても家で出るやつだけじゃない、と知ったことがとっかかりでした。

 島から戻り、海外のゴキブリを調べ始めると、いろいろいる。昆虫についてはある程度の知識があったんですけれど、ゴキブリはノーマークだった。ゼロからの出発。未知の部分がたくさんあって、解明していく面白さを感じました。

ー18年から年に1回、勤務先の昆虫館で開くゴキブリ展が人気です。

 自分のように、みんなゴキブリのことをよく知らずに嫌っているんじゃないか、という思いがあった。実はそれ以前から展示していたんです。みんな近くに寄って「キャーキャー」と騒ぐくせに、よく見ている。その様子から、意外にゴキブリが好きなんじゃないかと思い始めました。いろんな種類を集めた展示をやったらゴキブリの見方が変わらないかなと。今年は台湾からの来館者もいました。

ゴキブリへの愛を語るゴキブリストの柳沢静磨さん(田中利弥撮影)

社会人で初めて勉強の意味を知る

ー20~23年に計7種の新種を発見。その成果を論文で発表しました。

 勉強をしておけば良かったと初めて思いました。展示期間中に、生物学が専門の島野智之・法政大教授がみえたので、「新種っぽいのを捕ったんです」と自慢したんです。教授が「僕が教えるから論文を書いてみたら」と勧めてくれ、挑戦することにしました。

 当時、英語力はほぼゼロ。日本語で概要を書き、自力で英訳して渡したら、真っ赤になって返ってきました。修正の指示があった箇所を直しても、また真っ赤になってきて。永遠に続くのかと思いました。仕事をして家に戻って論文を書いて。2年ほどかかりました。なんでこんなに苦労して、世の人に知らせなきゃいけないのか、と考えたこともありました。

ー発見した「ウスオビルリ」と「ベニエリルリ」という2種類は、種の保存法に基づく国内希少野生動植物種に指定されました。

 ベニエリルリは沖縄・宮古島のごく限られた場所にしかいません。それが、ずっと誰にも知られないままだった。知られた途端に種の保存法の対象になったんです。ずっと存続が危うい状態だったのに、僕が発表しない限り、知られないままだったわけです。

 世に出たから法で守られただけで、名前がつかないと対応できない。絶滅危惧種かどうかにかかわらず、記号として名前をつけて認知してもらう作業が、とても重要だと思っています。

人気はないけれど重要な生き物

ーこの世界にゴキブリは必要でしょうか。

 「いなくなってもいい生き物はいない」と考えた方がいい。生態系は、いろんな生き物の関わり合いによって成り立っています。1ピースでも崩れると、何が起こるか分からない。コアラだから守るべきだとか、人気があるかないかなんて関係ないんです。人の感情を抜きにして生物多様性を考えないと。人気はないけれど重要な役割をしている生き物はいくらでもいる。そこを理解した上で、きちんと保全しないといけないと思います。

ー将来、実現したいことはありますか。

 ゴキブリに関する博物館って世界にないな、と思っています。つくったら面白いかなと。ゴキブリは人との関わりがめちゃくちゃ深い生き物です。ゴキブリを殺すために、人はすごく努力してるじゃないですか。家の中に出てくる一番身近な昆虫でもあります。良い関係ではないけれど、付き合いは長い。でも充実した展示をしている施設がほとんどない。国内ではうちだけだと思うんです。

 ゴキブリとの付き合いの歴史や、そもそも「ゴキブリっていろいろいるんだよ」ということを伝えていく。収集と研究もやりつつ、成果を発表していく場所があったらいいなと考えています。小さくていいので将来的につくりたいですね。

インタビューを終えて

 ひっそりと滅びていく生き物がいても、名前がなければ人は存在すら認識できない。これまでにそうして消えていった種もいたのだろう。

 最初に会ったのは2021年。「ゴキブリスト」という珍妙な響きにひかれ、取材を申し込もうと本人のホームページ「ゴキブリ屋敷」を開くと、あの姿が出るわ出るわ。恐怖で目を開けられず、同僚に連絡先のページを開いてもらった。

 ゴキブリへの愛情に驚く。「生物多様性の解明に貢献したいとの思いもありますが、一番は楽しいから」。好きであり続け、好きを究めることがいかに大事かを、その姿から教わっている。

▼ゴキブリストがセミ撮りのコツを伝える動画はこちらです▼

やなぎさわ・しずま

1995年、東京都八王子市生まれ。2016年に日本自然環境専門学校(新潟市)を卒業後、静岡県磐田市の竜洋昆虫自然観察公園の職員に。「ゴキブリの全てを知りたい」との思いから、世界のゴキブリ捕獲器を集めたり、ゴキブリを原料とした漢方薬を探し求めたりする活動を続けている。自宅では3000点近い標本を所蔵。19年に昆虫館で開催した「食べられる昆虫展」を前に、マダガスカルゴキブリやオオゴキブリを素焼きにして食べたところ、喉に異変を感じ、アレルギー症状が出たことも。著書に「ゴキブリ研究はじめました」(イースト・プレス)、「愛しのゴキブリ探訪記 ゴキブリ求めて10万キロ」(ベレ出版)など。

コメント

  • その昔、北陸某国立大学の大先生はカイコの研究に邁進し過ぎ、カイコアレルギーになり研究材料をハエに切り替えたという逸話がある。 柳沢さんもアレルギーにならない程度に楽しんで下さい(プロフィールを読
    一虫屋 --- ---