卓球選手 松平健太さん 中学からきょうだいで遠く離れた寮生活 台から下がらない戦術は父の教え

藤原啓嗣 (2024年11月17日付 東京新聞朝刊)
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卓球・金沢ポートの松平健太選手=石川県小松市で(星野大輔撮影)

カット・家族のこと話そう

4きょうだいともに卓球に打ち込む

 父は石川県七尾市で卓球用品店を経営しています。僕は店の隣の教室で、5歳から自然と卓球を始めました。父の卓球の教えは「下がるな」。パワーがないので台の近くでプレーするよう助言されました。また、相手の強打をはじき返すブロックが得意なので、「ブロックを軸に戦える選手は少ないから、磨いていけ」と言われました。

 強くなりたくて、中学1年の途中で、2歳上の賢二兄ちゃんと一緒に青森市の青森山田中に転校しました。一番上の兄ちゃんも京都市の強豪校に進学したので、両親は子どもを外へ出すのに慣れていたのかな。寂しい様子は見せなかったです。兄とは同じ寮の部屋で暮らしました。僕が全然分からない洗濯の方法を教えてくれて、助かりました。

 2013年にフランス・パリで開催された世界選手権に、賢二兄ちゃんや妹の志穂と一緒に出場しました。3きょうだいがそろって日本代表になるのは初で、両親はすごくうれしかったみたいです。

 実は、父からのプレッシャーを感じていました。「他のきょうだいにはこんなにアドバイスしない」と告げられたことがあって。この大会で中国や欧州の強豪選手を連破してシングルスでベスト8に進むと、「お疲れ」とねぎらってくれてほっとしました。

地元卓球チーム「金沢ポート」参加

 僕は19年に国際大会から引退しましたが、卓球に対するモチベーションは下がっていません。22年の全日本選手権シングルスで準優勝した際は、両親が東京に応援に来てくれました。母は僕の好物の八宝菜を作ってくれて、父は「優勝のチャンスがあった」と励ましてくれました。

 石川県卓球連盟の若手理事を代表に、卓球チーム「金沢ポート」ができた時は驚きました。一からチームを立ち上げるのは大変だったと思います。小学校のころの友達ともいまだに付き合いがあって、大好きな地元、石川県のチームなので、オファーを受けて昨年からプレーしています。

 今年の元日は東京の自宅で過ごしていました。習慣で昼寝していると、家族のグループLINE(ライン)がめちゃくちゃ鳴っていました。実家は海から2キロ圏内で、津波が迫っているという情報に気が気じゃありませんでした。

 両親は無事でしたが、家の中の物が落ちて、庭の石灯籠が倒れました。石川県輪島市にあった母の実家は倒壊しました。発生から断水が続き、「水は通った?」と定期的に連絡していましたが、父は僕らを心配させないように弱いところを見せませんでした。

 自身にも厳しい父ですが、孫に会うとすごく喜んで、思った以上に世話してくれます。だから石川県で開催され、僕が出場する試合にはこれからも子どもを連れて行きます。そして勝つところも見せられれば、ベストです。

松平健太(まつだいら・けんた)

 1991年、石川県七尾市生まれ。卓球に取り組む4人きょうだいの三男。攻守の技を高いレベルで兼ね備え、2006年の世界ジュニア選手権シングルスで優勝。16年の世界選手権団体で準優勝。近年は国内の卓球リーグ「Tリーグ」で活躍し、金沢ポートの主将を務める。妻はフリーアナウンサーの玉木碧さん。

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