<子どもの平成 上・少子化>「今春7校廃校」茨城・鉾田 「全校朝会は60列」東京・豊洲 どちらも大変…過疎と過密
5年生は7人…廃校決まり校長先生とランチ
広い校庭や林 のびのび育ってきたけれど…
1890(明治23)年開校の野友小は農村地域にあり、子どもたちは広い校庭や林でのびのび育った。敷地内には、PTAや近隣住民が木材で造った本格的なアスレチック施設もある。「すごいんだよ」。4年生の宇津木唯人(ゆいと)君が誇らしげに話す。
地域からも大事にされたが、1989(平成元)年に131人いた児童は、ことし3月には43人に。3、4年と5、6年は2学年合同で1学級。廃校の対象になった。
鉾田市の小学校 2012年20校→25年春には4校に
市はこの春、野友小を含む7校を廃校にし、4月新設の「鉾田南小」へ統合した。市教委によると、市内の小学生は2099人で、10年前より580人少なく、5年後にはさらに約300人減る予測だ。2012年に当時20校あった小学校を25年春までに4校に減らす計画を立てた。「適正な学級規模を保つため、やむを得ない」と担当者。コスト削減も見込む。
約800人でスタートした鉾田南小では、遠くから通う児童のために19台のスクールバスが走る。旧野友小の子どもたちにとって約20倍の規模の学校へ通うことは、大きな環境の変化だ。元校長の西野功さんは「大勢の中でも力を発揮できるように、意識して指導してきた」と強調する。
休み時間は入れ替え制 タワマン林立の東京臨海部の小学校
対照的な風景が、東京都心では広がる。
タワーマンションが立ち並ぶ江東区の豊洲・有明地域。全校児童が1000人を超す区立豊洲北小の全校朝会では、60列に並んだ子どもたちが校庭に広がり、壇上の校長は体の向きを右、正面、左と変えながら話す。「ありがとうございました」。一斉にあいさつした子どもたちの声が校舎に反響する。
給食後は清掃する学年と昼休みの学年を、時間を決めて入れ替える。全員が校庭に出て遊ぶと、ぶつかり合って危険だからだ。
07年に児童数293人で開校し、既に二度、校舎を増築した。区教委の担当者は「想定以上に子どもが増えた」と話す。この地域には07年以降、他に小中4校が新設され、うち1校でも校舎が建て増しされた。
15歳未満の人口、増えたのは東京だけ
平成元年、女性が生涯で産むと見込まれる子どもの数を示す合計特殊出生率が戦後最低を記録した。「1.57ショック」で始まった平成は、生まれる子どもが減り続ける一方で、人口の東京への一極集中が際立った時代だった。全国の15歳未満人口を20年前と比べると、増えたのは東京だけだ。
「過疎が進む地方では近所で友達を見つけるのが難しくなり、かたや都市部では過密化した空間に押し込められている。どちらも子どもにとっては大変な環境」。子どもの環境に詳しい千葉大学大学院の木下勇(いさみ)教授は指摘する。「次の時代は、まちづくりの計画段階から子どもへの影響を考慮するべきだ。子どもが主体的に学び、遊べる場を社会的に整備する必要性が、ますます高まっている」