忘れられない5歳の記憶 

 幼稚園の年長児だったある日、お向かいのおじさんが「弟が入院したからお見舞いに行くよ」と園まで迎えに来た。

 病室に入り、耳に飛び込んできたのは、母の嗚咽(おえつ)だった。「しんちゃんが死んじゃう、死んじゃう」。ベッドの枕元にうずくまり、両手で顔を覆っている。ベッド上の弟は、ぐったりしながらか細い声で「大丈夫だよ、お母ちゃん」と励ましていた。

 2つ違いの弟はおとなしい子どもで、体調が優れないことに周囲が気付きにくかったようだ。母はまずかかりつけ医に見せたが、その日はタイミング悪く金曜日。医師は「風邪のようだ」と母に伝えつつ、念のため週明けに総合病院へ連れて行くよう指示した。

 母は月曜日を待って総合病院を受診した。すると、弟を見た医師の顔色が変わった。「どうしてもっと早く連れてこなかったんですか!」と一喝され、「会わせたい人がいたら、すぐ呼ぶように」と告げられたという。当時は治療が難しい難病だった。

 幸い弟は一命をとりとめ、長い闘病生活を経て寛解した。しかし、私にとって5歳で見たあの病室の光景は一生忘れられないものとなった。「手遅れは怖い」という教訓として自分の中に深く刻み込まれたのを、親になって実感している。

 今は中学生になった息子が赤ちゃんのころは、夜はなるべく自宅で様子を見て…と思っても、そうもいかないことがたびたびあった。最近も息子の不調が心配で、いくつかの病院を受診した。かかりつけ医などで「大きな心配はない」と診断されても、症状が治まらないと「どこかに専門の先生がいるかも」と探すのに必死になる。

 忙しい医療機関に余計な負担は掛けたくないと悩みつつ、手遅れになった方がその後の苦痛や負担は大きくなるし、コストだってうんとかさむから、と思い直すことの繰り返し。診てくれる医療者の方々に感謝しつつ、これからも受診するのだと思う。おろおろ心配しながら。