不登校経験の漫画家 棚園正一さん 人と違う経験をしたから今の僕がいる

(2019年1月20日付 東京新聞朝刊)

(佐藤哲紀撮影)

小1で「分からない」と言ったらいきなりビンタ

 小中学校の9年間、ほとんど学校には行きませんでした。きっかけは小学1年生の時に授業についていけず「分からない」と言ったら、先生にいきなりビンタをされたこと。学校が怖くなり、母に泣きながら「行きたくない」と訴えました。

 両親は無理に学校に行かせようとはせず、家で好きな漫画をまねて描くようになりました。時々学校に行ける日もあったけれど、僕は普通の子とは違う気がして、教室に居場所がないと感じました。登校しても、また行けなくなりました。勉強は学校の先生が家に来てくれたり、家庭教師が教えてくれたりしました。

小6で不安が「爆発」父母にイライラをぶつけて

 小学6年生の時には、不安やイライラが募って爆発。母の大切なコーヒーカップを壁に投げ付けたり、玄関の窓を手で割ったりしたこともありました。夜、勉強中に理解できない問題があり、寝ている両親を「分からない」と泣き叫びながら起こしたことも。「育て方を間違えた」と力なくつぶやいた父の姿をよく覚えています。

 専業主婦の母はずっと優しく見守ってくれていたけれど、僕が家で暴れるようになって限界を迎えたのでしょう。1カ月ほど家を出て、近くにある祖母の家で過ごしていた時期もありました。

中1で「ドラゴンボール」鳥山明さんと出会って

 転機が訪れたのは、中学1年生の時。大好きな漫画「ドラゴンボール」の作者の鳥山明さんと母が同級生だった縁もあり、鳥山さんにお会いする機会がありました。鳥山さんに僕の漫画を見てもらったら、「自分の世界がある」とほめてくれて、自信がつきました。

 中学卒業後は、専門学校を経て大学に進学。アルバイトをしながら漫画を描き続けて賞も取り、30歳ごろからやっと漫画家として食べていけるようになりました。僕の不登校経験を描いた漫画には、両親も登場します。

今、追い詰められている親に、伝えたいことは

 僕は不登校の子どもや親に向けた講演会もしています。講演後、泣きながら「子どもを殺して自分も死にたい」と話してきた人もいました。追い詰められている親も多いけれど、「あせらなくて、大丈夫」と言ってあげたい。

 昨年、愛知県が悩みや困難を抱えている子どもに向けて作ったメッセージ集の表紙に僕の絵が使われ、僕のメッセージも掲載されました。両親はとても喜んでくれました。母は最近になって「不登校の経験が、誰かの役に立つようになったね」と僕に言ってくれるようになりました。人とは違う経験をしたからこそ、今の僕がいる。見守り続けてくれた両親には、感謝しかありません。

棚園正一(たなぞの・しょういち)

 1982年愛知県生まれ。名古屋芸術大在学中に集英社主催の「少年ジャンプ手塚賞」を受賞。2015年に出版された不登校経験を描いた作品「学校へ行けない僕と9人の先生」(双葉社)はフランス語にも翻訳された。小学館「ビッグコミックスペリオール」で「マジスター~見崎先生の病院訪問授業~」を不定期連載中。