震災の悲劇ではなく「学校事件」だった 84人が犠牲、石巻・大川小の隠された真相
東日本大震災による津波で、在籍児童108人のうち70人が死亡、今も4人が見つからない宮城県石巻市の市立大川小学校について取材してきたライターの加藤順子(よりこ)さんが13日夜、千代田区の日比谷図書文化館で講演した。遺族が起こした訴訟では昨年、石巻市や宮城県の過失を認めた判決が最高裁で確定したが、「あの日何が起きたのか、今も解明されていない。終わっていない」と語った。
裏山に避難せず川へ 児童と教員84人が犠牲に
大川小(2018年に閉校)は海まで3.8キロの位置にあった。すぐそばを北上川が流れ、海抜1.1メートル。2011年3月11日、震災が発生すると、子どもたちは校庭へ避難し、家族が迎えに来た一部を除き、そのまま約50分待機させられた。
津波が到達する直前に避難を始めたが、なぜかすぐ裏の山ではなく川を目指して移動し、津波に押し流された。児童・教員合わせて84人が犠牲となり、その場にいて助かったのは4人の子どもと教員1人だけだった。
加藤さんは、同月下旬から取材。だんだん見えてきたのは、遺族らに向き合わない石巻市教委の姿勢だった。経緯を明らかにせず「自然災害だから仕方なかったのだ」と決着させようとしていた。
メモ廃棄…いじめ自殺と同じ「真相を隠す」構図
説明会での学校や市教委の話は二転三転。唯一助かった教員は一度だけ説明に立ったが、内容は矛盾だらけだった。「山さ逃げよう」と訴えた子どもがいたという児童の証言があったことも分かったが、市教委は否定。聞き取りメモはすべて廃棄されていた。
加藤さんはなぜ市教委がそのような対応をするのか理解できず、どう報じていこうか迷った時期もあった。しかし、ある出来事によって事の本質に気付く。大津市の中学生がいじめを受けて自殺した事件。真相究明を求める遺族と隠そうとする市教委という構図が、全く同じだった。「大川小は、震災による悲劇ではない。学校事件なんだ」と腑に落ちたという。
真相究明を求めて一部の遺族は市や県に損害賠償を求める訴訟を起こした。市や県の上告で最高裁までもつれたが、昨年10月、事前防災の不備など市や県の組織的な過失を認め、14億3000万円の支払いを命じた二審判決が確定した。
助かった先生には、いつか真相を話してほしい
加藤さんは「市や県の上告は理由が弱く、メンツを守るためだったとしか思えない。裁判に時間もお金もかけているうちに、学校防災や教師の意識改革への着手が遅れてしまった」と批判した。
「大川小の先生たちは一生懸命だったと、私も思う。しかし、防災は教育とは異なる専門性が要求される」とし、亡くなった子どもたちや今後の教訓とするためにも「真相究明を中途半端にしてはいけない。助かった先生には、いつか真相を話してほしい。祈るような気持ちだ」と語った。