元ヤングケアラーの宮崎さん「支援の糸を垂らしたい」 17年間母を介護した経験を生かし、支援する側に 埼玉・羽生で講演
菅原洋 (2024年8月12日付 東京新聞朝刊)
15歳から約17年間にわたり難病の母を介護した元ヤングケアラーの宮崎成悟さん(35)が、埼玉県羽生市産業文化ホールで講演し、自身の経験を踏まえた支援の必要性を訴えた。
高校生で家事や介護を担う
母の体調に異変が生じたのは宮崎さんが中学生の時。高校生になると、母は体が動かなくなって寝たきりになる難病と判明した。家事や介護は宮崎さんが担った。寝不足のために学校で寝るようになり、卒業後に体重が約13キロも減少。ただ、周囲のサポートは得られなかったという。
一度は大学進学を諦め、母には「死にたい」と言われ続けるつらい日々が続く。苦学して立教大社会学部に入学したが、介護が続いて授業を受けられず、同級生には「バイトが忙しい」と言うしかなかった。
大学ではゼミやサークルに入れず、就職活動は自己アピールに苦労した。就職できたが、配属先は京都府で、自宅がある東京都に勤務できずに介護離職した。数年前に「ヤングケアラー」という言葉を知り、「自分だけではない」との安心感が得られたという。母は約3年前に亡くなった。
周りの大人が支援者になって
宮崎さんは「支援する側に回りたい」と思い立ち、2021年に一般社団法人「ヤングケアラー協会」(東京都)を発足させ、現在は代表理事を務める。関連する政府の各種委員なども歴任した。宮崎さんは「ヤングケアラーの周りに支援の糸を垂らしたい。皆さんも支援の糸になってほしい」と来場者に語りかけた。
今月初めに開かれた講演会は、羽生市などが主催した人権教育研修会の一環。同市と加須、行田市から行政の担当者や教職員、市民ら計約400人が来場した。