俳優 山本修夢さん 妻と2人でひとつのチーム 海外の仕事にも同行、現場にすぐ溶け込んで後押し
人の悪口言わない父の背中を見て
俳優の仕事を始めて、今年でちょうど30年。この道に導いてくれたのは、もう2人とも亡くなりましたが、両親だったなとつくづく思います。
父は国民学校を卒業後すぐに東京に出て就職。苦労して「山本酒店」という小さな店を開きました。朝から晩まで働く職人のような人。兄と僕に教育を受けさせて恥ずかしくない暮らしをさせたいと思っていたようです。
余計なことはしゃべらない。人の悪口は言わない。でも、どこかユーモアもあって。その背中を見て育って、こういう男になりたいと思ってきました。今も自分の基本になっています。
一方、母は父と対照的に陽気で世話好き。まさに肝っ玉母さんでしたね。教育熱心だったのでしょうか、たくさん本を買ってくれました。「良い本があなたの人生をつくるのよ」みたいなことを言われたのを覚えています。
だから子ども時代は遊びに行かないで、ずっと本を読んでいました。それによって頭の中でイマジネーションが作られたんですね。ある人物になって演じるイメージが。2人には感謝しかありません。
妻に「ロシア移住」を相談したら
俳優になった僕を支えてくれているのは妻です。もともとモデルと俳優をしていたこともあり、オーディションのための動画の撮影、セリフの稽古、撮影現場への差し入れの選択、ロケ地に向かうときのパッキングなど仕事面でもサポートしてくれています。
約10年前、知り合いの紹介でロシアのドラマのオーディションを受けて合格。何作かロシアの作品に出演するうちに、その演技スタイルに理想を見いだすようになりました。それは「芝居をするな」というものです。「登場人物の感情になって、そこに立っていればいい」と。
可能性を感じて「ロシアに移住したい」と妻に言ったところ、反対することなく背中を押してくれました。新型コロナウイルスの拡大やウクライナ侵攻があって、移住は諦めましたが、ロシアはもちろん、ウズベキスタン、香港など海外での仕事を数多くこなすようになりました。
妻は5年ほど前から、国の内外を問わず、撮影現場に同行してくれています。衣装やメークのスタッフとはすぐ仲良くなり、現場の雰囲気に溶け込んでいます。
もうすぐ全国公開される映画「草原の英雄ジャロロフ~東京への道~」は、ウズベキスタン出身で2020東京五輪のボクシング金メダリストの半生を描いた作品。スタッフも日本、ウズベキスタン、ロシアの混合チームで、コミュニケーションが大変です。日本とは違う現場に戸惑う衣装やメークの日本人スタッフに、妻が海外の事情を教えてあげて、現場の一体感が強まったこともありました。妻と2人で一つのチームです。
山本修夢(やまもと・おさむ)
1971年、東京都出身。雑誌モデルを経て、94年に俳優デビュー。2001年に映画「銀の男 青森純情篇(へん)」で主演。近年は海外でも活躍。19年にはロシア国営テレビ制作のドラマ「スパイを愛した女たち リヒャルト・ゾルゲ」で捜査官役を好演した。最新作は11月8日に全国公開される映画「草原の英雄ジャロロフ~東京への道~」。