子どもが子どもらしく過ごせる、理想の幼稚園を作った1人の女性 映画「時代遅れの最先端-風の谷幼稚園の子どもたち-」
五十嵐匠監督インタビュー
川崎市麻生区の自然豊かな丘の上に、子どもの体験を重視する教育で注目を集める「風の谷幼稚園」がある。制服なし、園バスなし。体ごと遊ぶこと、たくさん歩くことなどを大切にするこの幼稚園は、会社勤めから31歳で保育士に転身、その後、幼稚園教諭としてもキャリアを積んだ天野優子さん(77)が1998年に設立した。「子どもが子どもらしく過ごせる場を」と自宅を担保に2億4000万円の資金を集め、設立から10年間は無給で働いて作った理想の幼稚園。サッカー日本代表の久保建英選手が通ったことでも知られる。子どもたちの1年を撮影した五十嵐匠(いがらし・しょう)監督=写真=に魅力を語ってもらった。
幼稚園児がみんなで激しくラグビー!?
―映画「時代遅れの最先端-風の谷幼稚園の子どもたち-」が7日からポレポレ東中野などで全国順次公開されます。監督がこの幼稚園を知ったきっかけは。
五十嵐さん 数年前に、川崎市で映画「二宮金次郎」を撮っていた時に、ひょんなきっかけで天野先生を紹介されました。自分で自分の理想の幼稚園を作ってしまった人だと知って、すごい人だなあと思い、知るほどに惚れ込みました。子どもの映画はいろいろありますが、今回、僕は天野先生にスポットを当てた映画を作りたいと思ったんです。でも、打ち合わせをする中で、天野先生イコール「風の谷幼稚園」であり、子どもたちなんだと気付き、「風の谷幼稚園」の映画を作りました。
―映画は年長児がラグビーをする様子で始まりますが、ラグビーをさせる幼稚園はあまりないのでは。
五十嵐さん 最初に見た時に「面白いなあ」と思いました。ラグビーってみんなで助け合いながらボールを運ぶ、自己犠牲のスポーツ。それを子どもたちが一生懸命やって、激しくボールを取り合うからケガもするんだけど、誰も泣かないんです。天野先生は「仲間意識を持ちながら自分の動きを考えることができる」と話していました。
「うちの園に失敗という言葉はない」
―子どもがクギと金づちを使ったり、料理で包丁を使うのも印象的でした。
五十嵐さん 木工作で使うのですが、子どもはクギが曲がったり狙ったところに打てなかったりする。でも、天野さんは「うちの幼稚園には失敗という言葉はない」と言うんです。この言葉は僕の中には結構ズシンときましたね。「失敗したらやり直せばいい」と教えられるから、子どもはどんどんチャレンジできるし、たくましくなっていく。料理も子どもに本物の刃物を使わせます。どういう意味があるのかを聞いたら、「危険だからこそ集中力を高める」というんです。それはほかのことへの集中力にもつながっているのではないでしょうか。
―映画の中で、天野先生が常に現場に立っているのに驚きました。
五十嵐さん 天野先生は園長先生でありながら担任を持っています。この映画の時は年中児クラスでしたが、常に密に子どもたちと関わっている。その様子を撮影できたことがこの映画の魅力になっていると思います。
―子どもたちと天野先生の関係はどんな感じでしたか?
五十嵐さん 本当にびっくりするほど、自然に天野先生の周りに子どもが集まってくるんです。今、核家族が増えて、おばあちゃんが身近な存在ではなくなってきていると思うんですが、園児は先生の肩たたきなんかも自然にしていて、みんなのおばあちゃん的存在なんだと思います。
―印象に残っている出来事は?
五十嵐さん 撮影時に僕が少し子どもに声をかけたんです。そうしたら、「監督!声かけるのやめて!」と怒られました。幼稚園には彼女の作ってる「宇宙」があって、そこに異物が入ってきて壊されるのを彼女はよしとしない。あまり大人になって怒られることってないですけど、その時、僕はうれしかったんですね。僕は戦場の映画もたくさん撮ってますが、それこそ彼女にとってここは「戦場」なんだと感じました。
時代遅れだけど、ある意味、最先端
―風の谷幼稚園の子どもたちを見ていて感じたことはありますか?
五十嵐さん 自分の気持ちをちゃんと言葉で相手に伝えることが、すごく上手だと思いました。自分がこう思っている、こうしたい、ということを我慢しないでちゃんと言葉で伝えられる。子どもでも自立していると感じました。
―映画の中には天野先生が「風の谷幼稚園」を語る場面が何度も出てきます。
五十嵐さん すべての場面が天野先生のこだわりに満ちています。子どもたちの様子を見せながら、その都度、天野先生の思いを語ってもらう構成にしました。見る人にも伝わりやすくなったのではないでしょうか。
―タイトルの「時代遅れの最先端」に込めた思いは?
五十嵐さん これは天野先生の言葉から取りました。「風の谷幼稚園」の教育は、一見、時代遅れに見えるけれど、ある意味、最先端だと。物の片付け方とか、洋服の着方、ごはんの食べ方、人との関わり方とか。昔のしつけのようなことですが、決してそれは古いのではなく、これからの世の中に必要なことなんだと。
―園では本物に触れる、体験する、ということをすごく大事にしていると思いました。
五十嵐さん そうですね。梅もぎやジャガイモ掘りなど、豊かな自然があるからこその本物の体験を大切にしています。映画の中に電車ごっこをするシーンがあるんですが、それも最寄り駅まで行って、子どもたちは駅員さんがどうやって仕事しているかを実際に目にしているんです。だから、ただの電車ごっこじゃないんです。
幼少期の子を「よく見る」のが大切
―1年間、撮影していかがでしたか。
五十嵐さん やっぱり子どもたちがみるみる変わっていくのがうれしかったですね。跳び箱を跳べなかった子が跳べるようになったり。当たり前ですが子どもの成長はすごいなと思いました。
―映画のここを見てほしいというところは。
五十嵐さん やはり天野先生と子どもたちの絆みたいなものを感じてほしいです。
―「東京すくすく」の読者にひと言お願いします。
五十嵐さん 撮影で飛び回って全然自分の子どもと過ごしてない僕が言うのもなんですが(苦笑)。子育てってマニュアルもないからすごく難しいと思うんです。だけど、天野さんは「子どもをよく見る」ことを大切にしているとおっしゃっていました。今回、撮影する中で、幼少期の子どもをしっかり見るっていうことがすごく大事なんだな、と感じました。
「風の谷幼稚園」園長 天野優子(あまの・ゆうこ)
1946年、神奈川県海老名市生まれ。1964年大洋漁業(現マルハニチロ)に入社。10年間勤務するが、子を持つ母が安心して働くには信頼できる保育所が必要だと感じ退社。保育所や世田谷区の私立和光幼稚園での14年間の勤務を経て、1998年、「風の谷幼稚園」を設立する。自身は2男を育てた。著書「3歳は人生のはじまり-あまこ先生と16人の子どもたち」(ひとなる書房)、「時代遅れの最先端-三~五歳児の誇りと真心の育て方」(ニューメディア)。
監督 五十嵐匠(いがらし・しょう)
1958年、青森県青森市生まれ。立教大学文学部卒。岩波映画・四宮鉄男監督に師事。TBS「兼高かおる世界の旅」制作のため、アラスカをはじめ、世界各国を回る。以後、フリー。長編ドキュメンタリー映画「サワダ SAWADA 青森からベトナムへ ピュリッツァー賞カメラマン沢田教一の生と死」(1996年)で毎日映画コンクール記録文化映画賞、キネマ旬報文化映画ベスト・
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