イラストレーター 原あいみさん 「幸せを見つけるのが得意な子」に育ててくれた両親 私も娘を…

海老名徳馬 (2024年3月10日付 東京新聞朝刊)

娘や両親について話すイラストレーターの原あいみさん(池田まみ撮影)

自分のことが大好きと思える子だった

 小さい頃から絵が好きで、紙とペンを渡せばいつまでも絵を描いている子でした。勉強しろと親に言われたことはありません。外科医の父は、子どもを制限したり指示したりは絶対しないと決めていたそうで、ただのびのびと好きなことをして育ちました。

 家のことは何もできない父で、明るく愛嬌(あいきょう)のある母は「外だと偉いけどしょうがない人だね」と言いつつも、父への尊敬や好きな気持ちが伝わってきて。両親とも歌が好きで、何かあると父がギターを出してきて歌わされました。そんな二人なので、私は自分のことが大好きだと思える子に育ったんだと思います。

38歳で授かった娘 がみがみ言わない

 34歳で結婚して、子どもができずに不妊治療を始めました。検査で夫には問題がなくて、私は卵巣に成長中の卵子がどれだけ残っているかを示すAMH値がとても低かった。授からない可能性が高いかもしれないという事実を認めた上での治療の間は、いつも諦める準備をしつつ、でも絶対諦めないとも思う、不思議な気持ちでした。

 努力しても報われるかは分からないというのがすごくつらかった。一生懸命やっても結果が出ないむなしさもありましたが、タイミング法から人工授精、体外受精、顕微授精とできることを全部やり、38歳で妊娠、出産しました。

 小さな頃の娘は感情をわーっと出す子で、イヤイヤ期も激しかった。著書の絵本「おにのこ にこちゃん」は2歳の娘がモデルです。いまは9歳。表現が情熱的で、よく「好き」と言ってくれます。ゲームや漫画など自分の好きなものを見つけるのがうまく、幸せを感じる力が強い。毎日めちゃくちゃ楽しそうで、見ている私も楽しいです。

 子どもがいる人生にただただ感謝なので、娘が元気でいるだけで「本当にありがとう」という気持ち。なので激甘な親です。おやつのごみを捨てないとか服を脱ぎっぱなしとか、直してほしいところはあっても、がみがみは言いません。「ぴぴぴぴぴ、服を発見」とかちょっと遊びのように言うと、娘も「はいーっ、すいません」と片付ける。なるべく楽しく笑っていられるようにと思っています。

いつまで話せるか分からない母に…

 4年前に母がくも膜下出血で倒れて高次脳機能障害が残りました。車いす生活でこだわりが強くなった母を介護している父を、すごいなと思います。例えば歯磨きを嫌がる母に替え歌で「はい磨くよ、ばあば磨くよ」と促す。実家に帰るたびに新しい替え歌ができている。状況を受け入れ笑顔で過ごすところ、自分も受け継いでいると感じます。

 母とはいつまで話せるか分かりません。先日「私はすごく幸せだよ」と伝えました。「幸せを見つけるのが得意な子」に両親が育ててくれて、娘にも受け継がれていると思う、と。私は娘が楽しいと思える人生を全うしてくれたら一番幸せだと思うので、母もそう感じてくれるかなって。

原あいみ(はら・あいみ)

 1976年、名古屋市出身。音楽ユニット「ケロポンズ」と共著の絵本「おにのこ にこちゃん」(ポプラ社)は既刊7冊の人気シリーズ。23年勤めたデザイン会社を昨年退社しフリーに。昨年10月に初のコミックエッセー「私の生理のしまい方」(KADOKAWA)を出版。イメージキャラクター制作やインタビューなど幅広く活動する。