社会的養護のアフターケア相談所「ゆずりは」所長 高橋亜美さん 20歳を過ぎて伝えた「あの時」のこと、父は謝罪、母は…

(2024年2月18日付 東京新聞朝刊)
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家族について話すアフターケア相談所「ゆずりは」の高橋亜美所長( 戸田泰雅撮影)

穏やかな父が卓球では「鬼の形相」に

 虐待などで頼れる家族のいない人たちを支える仕事をしています。うちの母に会うと、驚くと思いますよ。昔から金髪角刈りなので、小学校の授業参観で「おめえの母ちゃん男か女かどっちなんや」とよく言われていました。自由に育ててもらいましたね。宿題しなさいと言われた記憶はないです。髪の毛を1週間に1回しか洗わなくても怒られない。

 自由人な母は、旅行に行っても1人だけ別行動。先日も、父と3人でカフェに行った時、「あっ3時からサスペンス再放送やった」と言って、ケーキを食べて先に帰りました。お好み焼き屋をやっていたので近所の人気者だし、堂々とした感じはすごく好きですね。

 会社員だった父は普段は優しくて穏やか。でも、卓球の練習になると鬼の形相でした。昔、選手だったのか、小学3年生から、当然のように練習に連れていかれました。4年生からは、毎日夕食後にボウリング場にある卓球台でマンツーマン。ふてくされた態度をとった時や、ミスした時にラケットで頭をたたかれました。ボール拾いは「走れ!」と怒鳴られるし、「反省するまでここを動くな」と何時間も正座させられる日もありました。

 母に卓球をやめたいと話しても「お父さんと話し合いなさい」と言うだけ。「何があったの?」と聞いてくれていたら、詳しく話せたかもしれませんが、母に言っても無駄だと思っていたのかな。

ほしい言葉をくれなかった母だけど

 だんだん友達に意地悪になり、先生にも反抗的な態度を取って、よく怒られるようになりました。万引も始めて、本屋さんで文房具とかを盗んでましたね。近所の神社で、ハトに石を投げて神主さんに怒られたことも。友達に暴言を吐いてその子の親が家に怒鳴り込んできたり、万引で警察に捕まったり。そんなことが重なって、6年生の秋に「本当に卓球やめたい」とお願いしたら、やめさせてくれました。

 私もパトカーに乗る経験をしたので、少年事件がニュースになると、「家で何かあったのかな」と思うようになりましたね。犯罪をする人の生い立ちや背景に何があるのか知りたいと思って、大学で児童福祉を学びました。

 20歳を過ぎて、なんで自分は万引をやめられなかったんだろうと振り返った時に、「卓球の時期と重なると思うんだよね」と父に伝えたら、「本当にあの時は申し訳なかった」と謝ってくれました。逆に母には「あの時、話を聞いてほしかった」と伝えたのですが、「いつまでもほじくり返して。好きやね、その話」なんて言われて。ほしい言葉をかけてもらえず、腹が立つこともあったけど、母は言葉にしないだけで、家事や育児で私を支えてくれています。岐阜と東京を行き来できるのも両親のサポートのおかげだと思っています。

高橋亜美(たかはし・あみ)

 1973年、岐阜県生まれ。2011年から、児童養護施設や里親家庭を巣立った人たちを支えるアフターケア相談所「ゆずりは」(東京都国分寺市)の所長。長女(19)と長男(10)を岐阜で育てる。著書に「愛されなかった私たちが愛を知るまで」(共著、かもがわ出版)など。

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