プラスサイズモデル 吉野なおさん 「母の愛情」と「私が思う愛情」は違う そう気付いたおかげで

海老名徳馬 (2024年10月13日付 東京新聞朝刊)

3人の兄・姉の思い出を語ったプラスサイズモデルの吉野なおさん(五十嵐文人撮影)

両親のけんかが絶えず「混乱」

 家族をひと言で表すなら「混乱」です。両親がしょっちゅう口げんかしていて、小さいときから2人が仲良くするにはどうしたらいいか考えていました。

 母は社交的で外では明るいけれど、家では「お父さんと結婚したのは失敗だった」と愚痴ばかり。片付けが後回しになり家の中は物があふれていました。保育園や学校に提出する書類をよくなくされたり忘れられたりして、私が気まずい思いをする。無意識のうちに、母を反面教師にして生きてきたと感じています。

 自営業で両親は朝から忙しく、小学校から帰ってもただ放置されていました。4人きょうだいの一番下。当時からぽっちゃりしていて、上から2番目の姉には「太っていると友達にばかにされるから一緒に遊ぶのは嫌だ」と言われて。「太っている自分が悪い」と当時は複雑な思いでした。

 「痩せて好きな人に認められたい」と過度なダイエットをして、その反動で過食症になりました。変わったのは25歳の時。アルバイトでたくさんの人の写真を見る機会があり「容姿はみんな違う」「ぽっちゃりでも幸せな女性もいる」と当たり前のことに気付いた。それからは自分を受け入れようとして、普通に食べられるようになりました。

 コンプレックスを克服する過程で母の愛に気付いた出来事もありました。実家で犬を飼いだした頃で、母が寝ていた犬に「枕を置いてあげなきゃ」と言って用意していた。

 犬にとって枕がうれしいかどうかはわかりません。同じように、母が愛情だと思っていることと、私が愛情だと思っていることは違う。これまで気付いていなかっただけで、私も多くの愛を受けてきたんだ、と。

「愛情不足」ではなく擦れ違い

 家は居心地が悪い、家庭に何かが足りないと感じていましたが、実は愛情の擦れ違いによるものでした。例えば保育園に行きたくないと私が言ったら、無理やりは登園させずに仕事の用事に連れて行くとか、忙しい中でも母なりに私の面倒を見てくれていました。姉が私に厳しかったのも、姉自身が体形を気にしていたからだと、今はわかります。

 よく「愛情不足」と表現しますよね。でも愛は量ではなく、表現する形が違うので伝わらないことが多いのだと思います。家庭で愛の形がわからなかった私は、高校生になって男の人に「痩せてくれたら付き合う」と言われ、これが愛情なんだと思ってしまった。

 親は愛情をかけたつもりでも、子どもに毒親と呼ばれることもある。「あんなに愛情をあげたのに」と思っている親がいたら、子どもにとって本当にそれは愛情だったのかを考えてもらいたいです。

 完璧な家族はそうそうない。理想にしばられるとつらく感じますが、家族によってちょうどよい関わり方があると伝えたいです。

吉野なお(よしの・なお)

 1986年、東京都出身。極端なダイエットの後に経験した摂食障害を乗り越え、大きなサイズのファッションモデル「プラスサイズモデル」として2013年から活動。自己否定から抜け出す方法をコラムなどで発信している。著書に「コンプレックスをひっくり返す 見た目のなやみが軽くなる『ボディ・ポジティブ』な生き方」(旬報社)。

コメント

  • 私は両親と絶縁してます。 虐待とネグレクトをする両親でした。 彼らなりの愛情をかけてくれた時もあったのかなと思えると、まだ両親のことが大好きだった、幼少期の私の気持ちを守ることができる気がして涙が
    ゆゆ 女性 30代