被災時に子どもが安心して過ごせる場を作るには 能登ではキッズスペースのない避難所も
能登では我慢を強いられる子も
昨年12月上旬、愛知学泉大(愛知県岡崎市)のホールであった避難所の開設訓練。「子ども班」と記されたベストを着た大人たちが、子どもと一緒にテントを広げ、子どもが遊び、休め、食事ができるスペースをつくっていた。
企画したのは、能登の被災地で避難所運営を支援した一般社団法人「こども女性ネット東海」(名古屋市)と、大学を運営する学校法人安城学園。多様性に配慮した防災訓練にたけた「男女共同参画地域みらいねっと」(青森市)の代表理事小山内世喜子さんを講師に招いた。
こども女性ネット東海の執行理事藤岡喜美子さんは、実際に能登の避難所で我慢を強いられている子どもたちを見てきた。「避難所の開設時から子どもの声を聞く環境をつくることが大事」。今回の訓練に子どもの居場所の視点も盛り込んだ。
子ども班をあらかじめ設けたため、一般の居住スペース設置と同じタイミングで、子どもの居場所にも着手できた。メンバーは同ネットが養成した「女性防災リーダー」や学生、教職員ら。利用者となり得る小学生らと相談しつつ、履物を脱ぐ位置や食べる場、遊ぶ場の仕切りなどを整えた。
訓練後、愛知教育大付属岡崎小6年の青山真白さんは「私たちの意見を聞いてもらえてうれしかった」と話した。だが、課題に挙がったのが居場所の持続的な運営。班のサブリーダーで愛知学泉大2年の神谷美葵(みき)さん(20)は「混乱する中、子どもたちの声を柔軟に受け止め、見守る存在がいることが大事」と考えた。
被災時こそ子育て支援拠点が重要
避難所とは別の場所で居場所を提供する方法もある。NPO法人「ベビースマイル石巻」(宮城県石巻市)の代表理事荒木裕美さん(46)は2011年の東日本大震災直後、乳幼児向けの物資や情報が届かなかったり、遊ぶ場所がなかったりしたため、自ら子育て支援に取り組む団体をつくった。
まずは生活協同組合の建物を使って月に数回、親子が集える場を開設。その後、数年かけて別の建物に常設化した。当時の経験から「不安で先が見えない中、子育て支援拠点がよりどころになる」と話す。
名古屋市南区の子育て応援拠点「momo」で昨年11月に開かれた防災研修に講師として登壇。被災した親子の具体的なニーズに応えられるのが支援団体だとし、「日頃から地域の人たちとつながっておくことが大切だ」と語った。
「momo」でも災害時に親子が集まってくることを想定し、スタッフは子どもたちの心をケアするための研修を受ける。さらに、地域の消防団や小規模保育所との合同避難訓練にも取り組む。管理責任者の山本里絵さん(48)は「避難所で子どもの居場所をつくる時に声が掛けやすくなるのでは」と、外部との連携を進める理由を明かす。
普段から地域と行政の交流を
内閣府の「避難所運営ガイドライン」は、検討すべき項目に子どもの居場所「キッズスペース」の設置を盛り込んでいる。
ただ、能登半島地震の被災地では設置に理解が得られなかった避難所もあったという。一方で、地元で子育て支援団体や子どもの居場所を運営するNPOなどが、避難所で子どもを支援したケースもあった。
金沢市内の「1.5次避難所」の運営や、被災地の子どもたちの支援に関わる金沢大の鈴木瞬准教授は「災害後にネットワークをつくるのは難しい」とし、こうした団体が日頃から地域や行政と信頼関係を築くことが大切だとする。
さらに、児童館や子育て支援センターなどの施設を、災害時の子どもの居場所として活用する方法を提案する。こういった施設にも被災者が集まってくることが予想されるため、「事前の取り決めが必要ではないか」と語る。
施設や人手の面から保育士の養成課程がある大学も、有力な候補になり得るという。2018年の西日本豪雨では、関連する学科がある岡山県立大に、同県や大学、地元のNPO、国際非政府組織(NGO)などが協力して居場所を設けた。
鈴木准教授は、「繰り返される日常を取り戻すことが重要」と指摘。それは、子どもにとっては遊べ、発散し、落ち着けること。そのために、「倒壊した家屋などが見えない場と継続して関与する人を併せて準備する必要がある」と強調する。