新党「教育無償化を実現する会」前原誠司代表に聞く「一石四鳥」の理由 産みたい人・学びたい人があきらめなくていい社会に
日本は他の国に比べ、親の教育費負担が重い国です。子どもの教育費をどう捻出するかは子育て世帯にとって避けては通れない大きな悩みです。2人目・3人目を産むかどうか、そもそも1人目をもうけるかどうか、さらにさかのぼって結婚に踏み切るかどうかの人生設計にも影響します。
国の支援策の「子どもの人数格差」や自治体の財政力による「地域格差」が注目されるなか、「教育無償化」を掲げて昨年末に新党「教育無償化を実現する会」を結成した前原誠司代表。所得制限を設けず、0歳から大学までをカバーするこの政策のねらいは子ども・子育て支援だけではないようです。
どのような社会を目指し、どのような支援を考えているのでしょうか。そしてその政策は、実現可能なのでしょうか。「教育無償化は一石四鳥」と話す前原代表に詳しく聞きました。
大学と高校の無償化
政府は2025年度からの「3人以上の子どもを同時に扶養する世帯の大学授業料無償化」を打ち出した。東京都と大阪府は所得や子どもの人数に制限を設けない「高校授業料の無償化」を進めている。世帯の状況や住む場所によって生じる「受けられる支援の差」が、子育て世代の分断や支援の充実した自治体への人口集中を生むとの指摘もある。
教育無償化には4つの目的がある
―こども家庭庁が発足して1年になります。政府が打ち出す子育て支援策については「東京すくすく」でも児童手当の拡充や大学無償化に関する記事がよく読まれており、関心の高さを感じています。前原さんたちが掲げている「教育無償化」ですが、まず目的はどこにあるのでしょうか。
私たちは「教育無償化は一石四鳥」と言っていて、4つの目的があります。
- 教育格差の是正
- 少子化対策
- 国際競争力の回復
- 賃金の上昇
一つ一つ説明します。まず、1つ目の教育格差の是正は「親の所得に関係なく、全ての子どもに学ぶチャンスが等しく与えられる」ということです。子どもは親を選べません。どんな家庭に生まれてもチャンスがある。そういう国にしていくことが一番大きな課題です。
その背景として2012年末の第2次安倍政権の発足、いわゆるアベノミクス以降、経済指標がどう変わったかをご覧ください。
2012年第4四半期を100としてそれぞれの推移を見ると、企業の経常利益が200以上まで増えています。ではこの利益がどう配分されているのでしょうか。
アベノミクス以降に格差が拡大
経常利益とほぼ同じレベルまで積み上がっているのが企業の内部留保です。企業の貯蓄が積み上がり、今ではGDP(国内総生産)に匹敵するぐらいの約550兆円に上ると言われています。それに対し、物価上昇率を割り引いた実質賃金は8%下がっています。一般の国民の賃金は目減りしています。これは年金も同じです。
これに対し、配当金を見てみましょう。グラフを見ると分かるように、経常利益以上に増えています。さらにいうと株主還元は配当金だけではありません。このほど日経平均株価が4万円を超えましたが、その一つの理由は、いわゆる自社株買いです。
企業の価値が不変と考えると、出回っている株を減らせば、当然ながら1株当たりの価値は上がります。自社株買いで出回っている株を減らし、1株当たりの価値を上げるという株主還元もやっています。資産を持っている人、株を持っている人は潤っています。
つまり持てるものと持たざるものの格差が拡大しているのです。そしてこのことが子どもの教育環境にも大きな影響を及ぼしています。
―具体的にはどういうことでしょうか。
親の所得が低いほど大学進学率が低く、高校卒と大学・大学院卒では生涯賃金に7500万円もの差が出ることが分かっています(文部科学省の資料参照)。
つまり、親の収入の多い少ないが結局、子どもの機会格差、教育格差につながり、それが子どもの生涯年収の格差になる。親の所得格差がそのまま再生産されて、格差が固定化される社会になっています。お金持ちの家に生まれた子どものほうがお金持ちになるチャンスがあるという社会から、スタートラインだけは平等にする、というのがわれわれの大きな目的の一つです。
同時に大学改革へ 卒業を難しく
「全世代型の教育無償化をする」ということを「全ての人を大学に行かせるのか」と誤解されることがありますが、そうではありません。私たちは行きたい人たちが行ける環境を整えるだけ。無理やり大学に行かせるという仕組みではありません。また教育無償化と同時に大学改革をセットで考えています。入るのはもう少し簡単にして出るのを難しくするということです。
―欧米の大学のように、ですね。
そうです。卒業が難しくなるとアルバイトなんてしている暇がない。だから無償化にします。この格差が拡大した状況の中で、しかも親の所得が多い子どものほうが大学に行けるチャンスがある。高校までは99%進学しています。大学になると53%ぐらいに落ちますが、この率を無理に上げようとしているわけではなくて、とにかく学びたい子どもが学べる環境を整えるというのがわれわれの考えです。
理想の子ども数「2.25人」に希望
―続いて、教育無償化の2つ目の目的「少子化対策」ですが、出生者数は2023年、過去最低だった2022年からさらに下がり、75万人でした。
コロナ禍を経て、さらに下がっています。ただ国立社会保障・人口問題研究所の第16回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)によると、夫婦の平均予定子ども数は横ばい(2.01人)ですが、理想的な子ども数は2.25人とそれより多くなっています。ここに希望があると考えています。
そこで子どもさんを持つことに踏み出せない方、1人だけで2人目、2人いても3人目を持てない方の理由の8割は「子どもの教育にお金がかかるから」です。われわれは全世代型の教育無償化を掲げていますので、当然、高等教育まで無償です。「教育はわれわれが責任を持ちますので、家族計画の中で持ちたいだけお考えください」と。
別にゼロでも構わないんです。無理に子どもさんを増やしてくださいというつもりは全くありません。ただ高等教育まで含めた教育無償化は希望する子ども数を持つために一番強いメッセージになると考えています。だからこれを徹底してやります。
日本は公的な教育支出が少ない
―3つ目に掲げる「国際競争力の回復」には、どうつながるのでしょうか。
まず日本の現在を確認する必要があります。スイスのIMD(国際経営開発研究所:International Institute for Management Development)というビジネススクールがまとめた世界競争力ランキングです。
30年ほど前は4年連続1位だった日本が今や35位(2023年版)まで落ちています。このランキングは4つの指標を総合的に判断しています。その中で日本が総合より下回っているのは、政府とビジネスの効率性なんです。これはIT(情報技術)化、無人化、AI(人工知能)化などが遅れていることの証左です。
大学ランキングも同様の傾向となっています。英教育専門誌「Times Higher Education」の大学ランキング(2023年版)では、東大が29位、京大が55位。その他は100位以下です。労働生産性の順位はOECD(経済協力開発機構)38カ国中30位。G7でも最下位です。日本は生産性が最も高い米国の約半分。つまり単位時間当たりで、米国が2つ作れるものを、日本は1つしか作れないということです。
一方、別のOECDデータを分析すると、教育への公的な支出が多ければ多いほど、労働生産性は上がることが分かっています。対GDP比でどれぐらいの教育予算を使っているか。OECD加盟各国と中国の39カ国中、日本は下から2番目という低さです。経済規模に比べて公的な教育支出が非常に少ない。日本の経済成長のカギはここにあります。
具体的に示すものとして、1990(平成2)年度と2024(令和6)年度の当初予算の歳入歳出を比較すると、歳出はトータルで46兆円増えています。ところが教育費に当たる文教・科学技術費はほぼ横ばいなのです。
この間でも教育費が上がっていた時期があったのですが、それを削ったのが小泉内閣です。財務省の言い分は「子どもの数が減っているから。1人当たりの教育費は減らさない」と。歳出削減の餌食になったんです。教育費の絶対額は変わらず、割合からすると完全に減っています。防衛費が増え始めたのは昨年からですが、この間増え続けているのは、高齢化に伴う社会保障費とその財源を確保してこなかったための国債費。今は1000兆円以上の借金があり、その利払いで増えています。
イノベーション生むのは基礎研究
教育費が抑えられ、労働生産性が低いと国際競争力は低くなります。潜在成長率は労働、資本、そして全要素生産性を表します。労働は働く人数×時間です。資本は設備投資にどれだけお金をかけたか。新しい機械に替えて省力化したりスピードアップしたりする。
全要素生産性は難しく聞こえますが、技術革新、イノベーションです。これが生まれるのは研究開発(R&D)からです。ものになるかどうかは分からないが、基礎研究にお金をかけること。高い山ほど裾野が広く、基礎研究の裾野が広いほど素晴らしいイノベーションが生まれてくる。
ところが日本の文教・科技費はここ30年、ほとんど変化がない。中国はこの20年間で教育費、研究開発費合わせて24倍になっています。それに比べて日本は、人的投資の面で全く戦略性がない。
ですから、日本のこの状況は当たり前なんです。人への投資、能力開発をしてこなかったから。
iPS細胞の山中教授でも「竹やり」
私は山中伸弥・京都大教授と同級生で仲良くしているのですが、彼がiPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究でノーベル賞を受賞する前に研究室に招かれました。セキュリティーの全くない研究室でした。そこで超党派の議員連盟で予算を付けて京都大iPS細胞研究所という施設を設立しました。すると、山中さんは「ありがたい」と言いつつ、2つのことをおっしゃったんです。
1つは「他の研究者の視線が厳しい」と。なぜiPS細胞だけ予算をつけてもらえるのか。もう1つは「これだけ予算を付けてもらっても、米国が近代兵器とすれば、こちらは竹やりで戦っているようなものだ」と。米国とは雲泥の差があります。日本は凋落(ちょうらく)のこの30年、教育への投資を怠った。全く戦略性のない国家運営をやってきた、ということです。
―最後の4つ目の目的「賃金の上昇」ですが、今の日本の競争力は世界的に見ても厳しい状況です。
賃金の上昇を、われわれは人への投資で目指したいと考えています。まず時価総額ランキングを見てください。
バブル終盤の30年前には、10位以内に7社、20位以内に14社が入っていました。それが現在は株価が上がったとはいえ、上位100社にトヨタ自動車しか入っていない。1991年を100として賃金上昇率を比べると日本だけが横ばいです。
ラーメン代、人件費…世界と差
ニューヨークで日本の有名ラーメンを食べると1杯3000円。深夜のレストランのアルバイト時給が4400円、カリフォルニア州にある大手ではない製薬会社で働いている、私より少し若い後輩の年収は5500万円。断片的に聞いているだけでもこれほどの違いがあります。日本は先進国の中で最低賃金国になりつつある。私の選挙区でも、介護施設でフィリピン人のスタッフが大勢働いていましたが、今は1人もいません。みなさん本国に帰り、今はオーストラリアやニュージーランドなど、時給が日本の倍の3000円くらいの国に移っているそうです。
―今、日本には何が必要なのでしょうか。
人材開発を子どもだけでなく、大人もする必要があります。「全世代型の教育の無償化」と言っているのは、リカレント教育やリスキリング(学び直し)を国としてやろうということです。大企業はその仕組みがありますが、日本の7割を占める中小零細企業では難しい。そういう人たちに対しても、資格やスキルを身に付けてもらう仕組みをつくる。パソコンを使えるようになったり、英語が話せるようになったり。
教育無償化が賃金上昇につながる
4つの目的についての説明が長くなってしまいましたが、つまり「教育無償化は日本再生のセンターピン」なんです。ボウリングの一番前のピン。教育無償化を実施すれば、格差が是正され、少子化対策にもなり、国際競争力が上昇し、賃金も上がります。
―では、実際の無償化の内容はどのように考えていますか。「高等教育の無償化の前に、子育ての入り口がまだ大変だ」という人たちもいます。
保育の無償化は、現状は3~5歳が対象です。0~2歳の無償化もやらなくてはいけない。小中学校の給食費の無償化もやらなくてはいけない。
―東京都や大阪府など一部の自治体で始まっています。地域によって支援の内容に差があることについてどう考えますか?
国としてスタンダードにしていかないとゆがみが出ます。東京都のように財政余力がある、つまり国から地方交付税をもらわなくてもやっていける不交付団体は、基礎自治体1700余のうち、約80しかありません。元明石市長の泉房穂さんは他の予算を削って子どもに対する施策を進めて成功しました。ああいう自治体のモデルができるのもよいですが、国のスタンダートとしてしっかりやることが大事だと思っています。
―ゆがみが出る、とは具体的にどういうことでしょうか。
簡単にいうと人口誘導になります。明石市には神戸市や姫路市、加古川市から若いお父さん、お母さんが流入していきました。競争で仕方ない面もありますが、となると大阪や東京にさらに集中します。地方はさらに過疎化が進んでしまいます。
勉強だけではない 習い事も支援
―その他にやるべきことはありますか。
習い事、塾などのバウチャー(利用券)も一定程度必要です。クラブ活動でもいいと思います。子どもたちに平等に機会を与えるというのは、何も勉強だけではなく、ピアノを弾きたい子、サッカーをしたい子も、親の所得に関係なく挑戦できるようにしたい。
私自身、中学2年生のときに父親が亡くなり、3つ上の姉はピアノを習っていて本人は音大に行きたいと希望していたが、ひとり親家庭だと難しく、夢を諦めざるを得なかった。子どもたちが経済的な理由で夢を諦めることがないようにしたい。無償化になれば、音大でも医学部でも歯学部でも行けます。
―よくある出産時の親向けのバウチャーとは違う、子どもの教育のためのバウチャーなんですね。
出産はまた別に考えたらいいと思います。子どもの教育無償化の文脈でいうと、習い事などのバウチャーです。みんな大学に行くべきだとは思っていませんから、それぞれの得意分野を伸ばすため、好きなことをやらせてあげるため、ですよね。
「奨学金の返済免除」もセットで
―現在、政府が進めようとしている大学無償化は、「同時に子どもを3人扶養していること」が条件なので対象となる世帯は限られます。すべての子どもへの無償化が実現すれば、奨学金の返済問題もなくなります。
3人目からの政府の無償化の予算は、2600億円で、われわれの「1人からの無償化」は2兆1000億円。1兆8000億円ぐらい増やせば全員が無償化になるなら、これは待ったなしでやるべきでしょう。ただ、その境目の子どもは運・不運が分かれてしまい、不公平です。ある時期から無償化になっても、その前まで払ってきた子どもたちがいる。ですから、無償化を受けられなかった人の奨学金の返済免除を考えなくてはいけない。教育の無償化と奨学金の返済免除はセットなんです。
私は先日の衆院予算委員会で岸田文雄首相に対し、「無償化は返済免除も一対にして対応策を考える必要があるのでは」と問いただしました。岸田首相は「公平性の観点から検討を要する」と返済免除の検討について言及しました。
―子育てへの支援が充実し始める前に子育てをスタートして、今、子どもが大学生になっているような段階の子育て世代は、保育料も学費もすべてフルに払ってきた「子育てのロスジェネ世代」とも言えます。こうした子育て世代にも、何か手当てがないと浮かばれないのでは。
全くその通りです。街頭演説したときに、学習塾でアルバイトしていたころの教え子の1人が声をかけてくれました。夫と死別し、1人で2人の子どもを育て、大学に進学させたそうです。「あなたはすごいね」と話したら、「いや、すごくないんですよ」と言うんです。「2人とも貸与型の奨学金を満額もらっています。子どもたちにその借金を背負わせたことが申し訳ない」と。私が通っていたころの国公立大学の授業料は10万8000円でしたが、今は約54万円です。賃金が上がっていないのに、教育費は何倍にもなっている。
大学改革で小中高の教育が変わる
―授業料が無償になっても他にかかるお金があり、特に私立は設備費などもかかります。
その点はこれから制度設計しなくてはなりませんが、子どもにチャンスを与えるということになれば、そこは基本的に無償にすべきです。ただ大学改革はセット。無償化されたら、「入試で勉強は終わり、アルバイトで卒業しました」という大学はもう絶対理解されない。ですから、高等教育は「原則無償化」と言っています。ちゃんと勉強してくださいね、と。一定条件をクリアすると貸与型が給付型の奨学金に変わるなど、無償化の制度設計はこれから考えていかなくてはなりません。
ただ、この教育の無償化は「必要条件」としか思っていないんです。つまり大前提です。これで十分なのではなく、大学改革、教員の質の向上、入りやすく卒業が難しい大学にすることで入試が変わる。そうなると高校、中学、小学校の教育が変わる。塾のありかたが変わってくると思います。公教育の質、先生たちの待遇などの「十分条件」をどう整えるかが併せて重要だと思います。
―そうなると十分条件が整った段階での無償化でしょうか。
いや、無償化は必要条件ですからすぐにやったほうがいい。現在の予算5兆5000億円を、高等教育の無償化2兆1000億円と研究開発費を含めて倍にして、計11兆円で実施する。財源は提案します。
ただ子どもの数は減っていきますよね。ですから大学の自然淘汰は必要だと思います。教育の無償化はゾンビ大学を残すことではない。無償化はあくまで子ども、大人の学び直しに対する個人の施策であって、大学にお金を入れることではない。大学を選ぶのは子ども。少子化の中で経営が大変になっていくだろう大学を救うものではなく、そこは切磋琢磨を求めます。
災害があっても教育は立ち直れる
―1月の能登半島地震では、教育の継続ができるのか、という深刻な状態に直面した自治体もありました。国として、対策や備えをする必要は?
これまでお金をかけてこなかった、戦略的な対応をしてこなかったために今の状況がある。それは政治の責任です。それでも仕組みを考えれば、教育にかかる分野では立ち直ることができると思っています。
―無償化して負担を減らすだけではなく、教育の質が伴わないと良質の「学びの場」にはなりません。
1つの例として今注目を浴びている加賀方式があります。文部科学省からきた島谷千春教育長が率先して授業のあり方を変えている。欧米では当たり前の、進捗度でグループに分かれて授業を進めるやりかたをしています。今までの画一的な教育を変えていくことはできます。
いろいろな試行錯誤の中で、一人一人の能力をどう高めていくか。親御さんにとっても子どもは宝ですが、国にとっても宝です。国家戦略の一番根幹に関わる人づくりは、効果はすぐには出ませんが、やり続けなくてはいけないことなのです。