日本一人口が少ない158人の村、青ヶ島で「離島留学」しませんか? 中学生を募集 休校の危機「島の活気につながる」
離島留学とは
全国の子どもたちが離島に住民票を移し、1年単位で島の学校に通う。小中学校への留学は1986年度に新潟・佐渡島で始まった。全国から入学者を募る高校の離島留学は2003年度、長崎県立の4校で初導入。地元住民が子どもを預かり通学させるほか、高齢化で預かり手が少ない自治体では合宿所を造るなどしている。親子での移住を受け入れる自治体もある。
都心から358キロ 中2の2人が留学中
「島の人が気さくに声をかけてくれる」。東京23区から島に来た中学2年のルリさん(13)と、多摩地区出身のウタさん(14)=いずれも仮名=は、リモート取材に笑顔で答えた。
2人は今年4月から、島唯一の中学校、青ヶ島中に通う。なぜ、都心から358キロ離れた島の中学校に通っているのだろう?
ルリさんは「親元を離れて生活してみたかった。大人になった時、役立つと思った」。ウタさんは、小学生時代をこの島で過ごしていた前の中学の同級生に憧れたという。「活発で統率力を発揮する子に変わっていたのに驚いた」
2人を含め、青ヶ島中の生徒は3人。2022年度は生徒数ゼロが見込まれたが、留学生3人が入り休校を免れた。教員は11人と手厚く、1対1の授業もあり、生徒が発言しないと授業が進まない。運動会など学校行事は5人の小学生と一緒に取り組んでいる。
危機感から村民が発案 村も事業化検討
島への留学を呼びかけたのは、青ヶ島製塩事業所社長の山田アリサさん(61)。島の人口は2005年の国勢調査の214人から、今年7月1日時点で158人に減った。中学が休校見込みと知り危機感から、2021年6月に個人で動いた。「何かしないと、人々に諦めの気持ちが蔓延(まんえん)する」
島で留学生を初めて募り、2022年度の3人のうち2人は山田さん宅に下宿し、もう1人は村提供の家に家族で住んだ。本年度の2人も山田さんの家で暮らす。
村や島民の協力を得られるだろうか。山田さんの不安は取り越し苦労に終わった。留学生は釣りやバーベキューに呼ばれ、お菓子が届いたことも。「私の分はなかった」と笑う。
ルリさんやウタさんも4月中旬、島で飲食イベントを手伝い、多くの人が2人の名前と顔を覚えた。2人は山田さんの鶏の世話や洗濯もする。週1回、地域の女子バレーボール部の練習に加わっているという。
個人で始めた離島留学の試みに、村の田中孝明教育長は「村の事業にするよう検討を始めた」と明かす。
募集は1~3人 期間は1年、家賃なし
島は霧が深い時はヘリコプターや船の運航が止まり、人や物資の輸送が滞る。自然の厳しさと、夕日や花の美しさを知ったルリさんとウタさんは、島の写真をSNSのインスタグラムに載せている。「島を多くの人に知ってほしい」
留学生の募集人数は1~3人。締め切りは8月末だったが、8月15日に前倒しした。ウェブ面接と対面面接で決める。期間は1年。下宿の家賃は無料で、食費など1カ月分の経費を前月に集める。問い合わせは、青ヶ島製塩事業所の電話04996(9)0241か、同社ホームページのメールで受け付けている。
全国約40市町村が離島留学を募集 独自色ある自治体が人気
国土交通省のまとめでは、来年4月の入学に向け、沖縄県を除く40余りの市町村で離島留学生を募っている。公益財団法人・日本離島センター(東京)広報課長の森田朋有さん(44)は「小中学校がなくなると、子育て世帯が定住できなくなって地域の維持が難しくなる。こうした場所で学校を残す大切さが見直され、島外からの留学が広がった」と説明する。
森田さんによると、学校はさまざまな行事で人が集まる「核」で、持続可能な地域づくりには不可欠な存在。離島の学校維持には、地域を挙げて学校の活動を支援し、子どもたちを温かく見守れるかどうかがカギとなる。学校が残れば、自治体も子育て世代が働く職場づくりに力を注げる。
離島留学に独自色を出している自治体では、応募者が多い傾向にある。ロケット発射場がある鹿児島・種子島の南種子町では、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の協力を得たプログラムを採用。不登校の子どもたちを支援するため、離島留学を活用している例もある。森田さんは「『効率的な予算配分』という考え方を超えて、学校の存続を考えてほしい」と訴える。
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