角野栄子さんが「魔法の文学館」に込めた思い 子どもは自由に本を読み、自分の言葉を持ってほしい

内覧会で「魔法の文学館」について語る角野栄子さん=江戸川区で(由木直子撮影)

開館直前インタビュー

 東京都江戸川区に11月3日、「魔法の文学館」がオープンします。館長を務める児童文学作家の角野栄子さん(88)が、開館を前にメディアのインタビューに応じました。文学館に対する思い、来館者へのメッセージ、子ども時代を過ごした江戸川区の思い出などを語ってくれました。

入ってびっくり 「コリコの町」のよう

―文学館で特にお薦めのところを教えてください。

 まず、入ってびっくりしてもらいたい。驚きを感じてほしい。外観はね、とてもすてきなきれいな白なんですけども、中に入ったら、「おおっ」て感じで、驚かせたいという気持ちがあります。

ピンク色の本棚。コリコの町をイメージしたという

 「魔女の宅急便」でキキが降り立つ「コリコの町」みたいな内部にしたいなと思っていた。私はね、(トレードマークの)色がいちご色みたいになっちゃっているので、そういう街を作りたいなと。

 コリコの町を模した内部では、至る所でちょっと座って本を読むことができるし、階段を上って、舞台、観客席にもできる。テラスもある。きれいな公園があるんです。テラスで読んでもいいし、外に出て芝生で読むこともできる。

―力を入れた点やこだわった点を教えてください。

 本の中心になるものは物語。自分で初めて本を読むようになった子どもたちが「本って楽しい」って思えるような物語をまず集めました。いま、読み聞かせはたくさんあるけれども、自分で本を読むという子どもっていうのは少なくなっています。親は読み聞かせで子どもが喜んで聞くから、子どもは本が好きだと思っているんです。けれど、それって『聞き書(ききしょ)』ですよね。それを『読書』にする。楽しいから、本を自分で読んでみる、そういう文学館にしていきたい。

「魔法の文学館」の館内。いろいろな場所で本を読める

 小学校6年生の子も、大人もいらっしゃるから長編物も置きますが、小学1、2、3年生の子どもたちが1冊読んで帰る、そういう楽しい物語を中心にピックアップして集めました。

 私の世界を大切にしてほしいなと思っていたんです。でも、私は話し始めるとふわふわと言っちゃうタイプ。聞いてらっしゃる人はわからないと思って、私のつえ代わりにね、娘(アートディレクターのくぼしまりおさん)が一緒についてきてくれたんです。

 彼女は美術学校を出ているので、「ママの言ってることはこういうことなんです」ってその場で絵を描きはじめたんですね。そしたら、聞いている方が分かってくださって、それがだんだん発展して、彼女がパースを描く、デザインすることになったんです。

内覧会に臨んだ角野栄子さん(中央)。左端はアートディレクターで娘のくぼしまりおさん

 娘は私の気持ちが分かるもんだから、「これはママは嫌がるだろう」、工事現場でこれはこうしてくださいと、具体化していってくれた。内装については、娘がアートディレクターをやってくれたんです。私の世界を壊さないようにという気持ちで皆さんが一致してくれたから、できたんだと思っています。楽しみにしてください。

1万冊の選書 子どもが読める「物語」

―創立に当たって、楽しかったことや苦労したことはありましたか。

 意見や対立もあったけれど、皆さん、すごく気持ちがあって、楽しげに作り上げていた。そういう雰囲気でいられたのはとっても良かったと思います。

 大変だったことは、選書、本のセレクションです。手伝ってもらった方もいます。選書してもどんどん、どんどん本が増えてくるわけです。これからも、注意をしてセレクションしていきたい。

「魔法の文学館」は1万冊以上の蔵書をとりそろえている

―選んだのは角野さんが実際に読まれた本なのですか。

 読んだ本も入っていますよ。だけど、1万冊ですよ。だから、本当にこれ角野さんが選んだの!? って言われたら困るんだけども。まだ、私も全部は読んでないわけですよ。一緒にやってくれた人にも申し上げたんですけど、物語は想像することができる、「主人公がはっきりしていて、楽しい主人公っていう話」があればいいなと思っていた。

 例えば、「かまきり」とか「ダンゴムシ」といった本でも、物語性のあるものもある。そういうものも、図鑑も入れましょうって。かたくなに物語っていうわけではないんですよね。そういうものが好きな子がいて、そこから発展していくこともある。私が主張したものばかりではありません。

 子どもたちがどんなものを読むかな?というのを見ながら、新しいものも入れていきたいとも思う。自分で読むということが大事。私のところに、「はじめてさいごまで読めました」という手紙が来たんです。1冊の本を最後まで読むというのが、これだけ子どもに喜びと自信を与えるのかと思ったら、やっぱり最後まで読める楽しいものを書いていきたいし、文学館にもそろえてみたいなと。そういう気持ちを込めました。

自由でなければ子どもの心は動かない

―文学館に期待することをお聞かせください。

 やっぱり、「本っておもしろいな」ってまず思ってもらいたい。今のお子さんは分刻みでスケジュールが決まっていて、すき間の時間はゲームをするとか、そういう感じ。

 私たちの子どものころは、散歩とか、歩いて、小さな虫に気がついたり、お花があったり、何か面白いことを遊びながら見つけていたんです。発見の機会が、本にはあると思うんですよ。

「自分の言葉を持ってほしい」と話す児童文学作家の角野栄子さん=神奈川県鎌倉市で(内山田正夫撮影)

 発見して、想像して、これなんだろう?という心の動き。それが日常の中に少なくなっている。だけど、本にはそれがまだあると思うの。ページをめくりながら、発見したり、驚いたり、自分で考えて言おうと思ったり、想像したりする。本にはその世界がまだあると思っているんです。だから、読んでほしいなって。

 本を読んで楽しかったら、想像力というのが、読書の中に生まれてくる。究極、その想像力が、子どもたちに根付いたときに、「創造」につながっていくし、そうあればいいと思っているんです。何をつくるにしても、たとえ絵を描くにしても、ペンキを塗るにしても、やっぱり想像力は必要。その人が生きる力に、助けになる。そういう本の読み方を、私は念じているんです。エンターテインメントで、親がちょっと眉をひそめるようなものでも、面白ければ文学館に取り入れたいです。

 それを選択するのは子どもですから、それは自由にしたい。自由じゃなければ心は動かないし、自由な空間にしたいですね。

―中高生や大人にはどんなふうに楽しんでほしいですか。

 本を読んで、何か表現したい気持ちになってほしい。だから、高校生でも中学生でも、お母さん、お父さんでも、何か表現したいものを、絵を描いてもいいし、詩を書いてもいいし、何でもいいからそういう気持ちが動き出すことを狙っています。

 書いた物を入れられるポストがあるので、入れていただければ。全部は読めないけれど、なるべく読みたいです。

壁には「本をひらけば たのしい世界」という角野さんのメッセージが

好きな本を、自分で見つけてほしい

-来館する子どもたちへメッセージをお願いします。

 自分で見つけてほしいの。自分の楽しい、好きな本をね。だから、普通の図書館のようにそろえていない。例えば、化学書やなんとか書、とそろえて置くということを、あえてしませんでした。アトランダムに置いている。子どもの本って大きさがまちまちで煩雑な感じがするんですけども、そろえて、これがこうなんだよと便利にしなかったの。便利にするっていうことは、ある種の方向性を押しつけることになりかねない、と私は思うのね。だから、自分で好きなものを見つける。

 今、出版界がなかなか本を読まないっておっしゃっているでしょ? このくらいの年の子が本好きにならないと、と私は思っているんですが。

細かく分類せず並べられた本

―あえてランダムに本を配置されたのは。

 自由に本を読んでほしいのね。自分の中に、本を読むことによって想像力が生まれて、自分の中に一つでも言葉が入ってきたら、それがだんだん積み重なって、その子どもの形の辞書ができるわけよね。その人の辞書ができるわけでしょ。体の中に入った言葉は、生きた言葉なんですよね、私も物を書いていて、ちょっとしゃれた言葉を使いたいと思っても、使い慣れていないと絶対に使えないもの。自分の体の中から出てくる言葉でしか書けないんですよね。だから、そういう言葉を持っていれば、コミュニケーションもできるし、人と話すことも、その方法も考えていけるだろうしね。私は、日本人にそうなってほしい。

―設計の隈研吾先生とはどんなやりとりがありましたか。

 隈先生は柔軟な方で、話をしていて、とっても人間がお好きって感じがするんですよ。文学館の工事現場には、なかなか行けませんでしたけど、お会いするととても楽しかった。

 (隈先生は)軒をまぁるくしたかったんですね。だけど、私はもう少しシャープにしてほしいと思ったの。そしたら、先生、驚かれてね。窓の大きさを言う人は多いけど、軒のことを言う人は僕は初めてですって。大先生に大変なことを言っちゃったなと。でも快くやってくださいました。

「魔法の文学館」でテープカットをする角野栄子さん。左は設計した建築家の隈研吾さん

23歳まで住んだ江戸川区の思い出は

―3歳から23歳までお住まいだった江戸川区の思い出を。

 20年間住んで一番思い出に残っているのは「江戸川」ですね。私の家は、比較的江戸川に近かったんです。江戸川の土手で転がって遊んだり、草を結んで人を転ばせるとかね。通る人へはやりませんよ。お友だちを脅かしたりするんです。花を摘んで髪飾りにしたり、縄跳びをしたりしていました。

 川のすぐ近くまで行ってみると、川って流れていくんですよね。私はじぃっと見て「どこに行くんだろう」ってずっと思っていましたね。「どこに行くんだろう」と思った先に自分も行ってみたい、って小さい時から。

 5歳の時に母が亡くなっているんです。一人親だった時期があって、寂しかったのかもしれないし、どこかへ行きたいという気持ちがあったのかもしれない。だけどね、そんなことをしていると心がし~んとしてきてね、なんか怖くなってきたりして、うちに慌てて帰るんです。

江戸川の思い出を話す角野栄子さん

 川の奥の方には手を伸ばすと、粘土になるところがあるんです。自分の秘密の粘土で、何か作ってみたりもしました。本当に素朴で、だけど、やっぱり自分の創意工夫がそこにはあふれていたんですよね。向こうから与えられるんじゃなくて。

 親から与えられるとしたら、暗くならないうちに早く帰ってこいとかね。勉強しろとも、言われなかったんです。

―子どもの頃から本は読まれたのですか。

 父がよく話をしてくれました。本も読みましたけど、今の時代みたいに本がない。あるものを貸したり、借りたりしながら読んでいました。

―空想の世界も子どもの頃からされていたのですか。

 自分で落書きするんですよね。大きな紙、カレンダーの裏とか、わら半紙とか。それにいたずら書きをするわけです。

 いたずら書きは物語なんですよ。道があって、たばこ屋さんがあって、おばさんがいてとか、そう思いながら、黙って描いていくでしょ? そうすると映像と物語というか、小さな小さな物語が膨らんでいく。その頃は赤い屋根のおうちが憧れだったの。西洋風だから。私が育ったうちは障子だったのよ。障子、ふすま、雨戸。だから、カーテンが憧れだったの。赤い屋根のおうちがあって、窓があって、カーテンがかかっている。その中にはね、とっても弱い、病気で弱い女の子が出てくるの。

 そんなことを考えるわけよ。描くっていうことは、その情景を思い浮かべて、物語を同時進行させるんです。空想の世界が今でも続いているの、私。

「魔法の文学館」には角野栄子さんのアトリエを模したコーナーも

 だから、「魔女の宅急便」を描くときは、うちの娘が描いた絵がきっかけだったけど、その子を主人公に書こうと思ったときに、「彼女が住むところはどういうところだろう」とかね、そういうのをまず絵にするんです。そうすると、だんだん世界が見えてくるので、それで書き始めるんです。時々、セリフみたいなのがひょっと浮かんだりするわけです。それで書き始めていく。

 奇妙に思われるんですけど、私は物語の終わりを決めないで書くんです。終わりを決めたら、自分が書くのを面白くないし、物語がやせ細っていくし、私が分からないで書いていくんだから、お読みになる人もきっとどうなるんだろうと分からないで読んでいる。物語の先が見えない方が面白いでしょうね。推理小説だって、犯人が分かっちゃったら嫌じゃない?

戦争は悲惨です 何もかもがなくなる

―戦争体験について教えてください。

 私の小さい頃にも東京には公害があったんです。それでね、父は姉を結核で亡くした直後だったんです。だから、子どもたちにいい空気を吸わせようと思って、小岩に小さなおうちを建てたんです。そしたら、いい空気どころか、蚊がいっぱいいてすごかったの。だから、うちはあったけど、お店(父の営む質屋)は下町の門仲(門前仲町)の近くにありました、そこは(空襲で)全部焼けてしまいました。土地は他の人のものだったから、何もなくなってしまったんです。

 空襲の時、父だけ店に残っていました。父は避難するように言われて、向かったところ(防空壕)に入れなかったんですって。それで違う方向へ行って助かった。そこに入った方は、全員亡くなったの。炎が洋服について、燃えちゃう。家も無人ですよね、そこに入って、洋服を出して、用水路にばっとつけて、それをかぶって逃げたんです。父はそんな感じで助かったんですが、財産は全部無くしましたね。

「戦争は何もかもなくなる」と話す角野栄子さん

―ウクライナをはじめ戦争があったり、コロナもあったり、不安な気持ちになっている子へメッセージをお願いします。

 私はメッセージをあげることはできないわ。ただ、ニュースを見ていると、私が経験した戦争と同じですよ。何もかもがなくなる。戦争というのはどこの国でも悲惨。ウクライナはコンクリートの建物で跡は残っていますけど、東京は木造だから焼け野原。だから、ずっと見渡せるくらいです。

 終戦の年が、5年生の時、10歳だったんです。疎開先にいて、中学2年の時に戻ってきたんです。戻ってきて、九段にある学校に通うのですけども、まだきな臭いにおいがしましたね。風がふいて、電車の中からね。それくらいひどかったのね。

―戦争や気候変動、AIの発達など変化の大きな時代に、大人は子どもに何を伝えればいいでしょうか。

 私はね、まず日本人が、一人一人自分の「ことば」を持ってほしいなと思うわけ。今、教育もそうだけど、同じように答えを合わせるってことになっているような気がする。

 例えば、角野さんに手紙を書きましょうって、小学生の教科書に載っているものだから、先生が子どもたちに言って、どすんと子どもたちの手紙が送られてくるんです。その紙を見るとね、ハート形か何かに印刷されていて、そこに3行くらい縦棒が入っている。そうすると、子どもたちはそこにきれいに書こうと思うんですよ。「角野さん、本をたくさん書いてください」とか「おもしろかったよ」とかで埋まってしまうの。

 だけどね、なぜ、白い紙だけじゃいけないの?と思うの。そこに、子どもを押し込めようという意思、子どもに対してはサービスかもしれないけど、白い紙だったら、大きく書きたい子もいるだろうし、隅っこにちょこちょこって書きたい子もいるだろうし、それくらいの自由は許してあげてもいいんじゃないのと思うの。そしたら、手紙がどすって来ても、私も楽しい。だけど、右にならえみたいに、同じ言葉が手紙で来るのね。そうすると、将来が心配になってしまうの。

子どもたちと笑顔で手を振る角野栄子さん

 これからは、私は自分の言葉を持たないと、持っていかないと生きていけないと思うんだけど、みんなはどうでしょうかね? やっぱり、気候変動や戦争の問題っていうのは、意外とずるずると行っちゃう。

 私は戦争を経験しているから。小学校1年生の時に戦争が始まった。見ていると大人たちもずるずると行っちゃっているわけですよね。中には反対している人もいたかもしれない。だけど、親とか近所の人とか見ていると、新聞に天皇陛下の写真が載っているとまたいじゃいけないとかね。正座して見なさいとかね、それから日本は絶対勝つんだって、ぐ~っと行ったわけでしょ? それももうやめてほしいですよね。

 一人一人が自分の言葉で、自分の命を考えていきたい。考えていただきたい。日本の子どもたちの教育はもう少し心が動く、形にはめない、自由な心にしてほしい。自由がなければ何にもできないですよね。

角野栄子(かどの・えいこ)

 1935年生まれ、東京都出身。代表作は「魔女の宅急便」など。2018年児童文学の「小さなノーベル賞」と言われる国際アンデルセン賞を受賞。