写真家 浅田政志さん 「浅田家!」コスプレの原点は、おやじが一生懸命撮った年賀状の家族写真
おやじが料理、母はフルタイムの看護師
おやじは工場で働いたり、トラックの運転手をしたりと、職業がころころ変わる人でした。浅田家の食事は毎日、おやじが作っていて、僕が中高生の頃は弁当も作ってくれました。珍しいかもしれないですが、当時はこれが普通だと思っていましたね。
母は看護師で、真面目で仕事に一本気。77歳の今もフルタイムで働いています。命を預かり、体力もいる仕事ですが、弱音や愚痴をほとんど聞いたことがない。単純にすごいなと思います。
両親とも、ああしろこうしろとは言わないタイプ。勉強しなさいと言われたこともない。相当自由に育てられたと思います。写真の専門学校に入る時も反対されませんでした。でも、おやじは近所のカメラ店の人に「息子が写真をやりたいと言っているが大丈夫かな」と相談していたらしい。先日初めてカメラ店の人に教えてもらって驚きました。僕の知らないところで心配してくれていたみたいです。
消防士、レーサー… 恥ずかしいけれど
最初の「写真体験」は年賀状です。僕が1歳の頃から毎年、おやじは僕と3歳上の兄を津市内の寺などに連れて行き、一生懸命撮った写真を年賀状にしていました。それが大きく影響したのかな。専門学校で「1枚で自分を表現する写真」という課題が出た時、僕が小さい頃に父と兄も同時にけがをして、母が勤める病院で一緒に手当てを受けた思い出の一シーンを再現しました。「一生に1枚しか撮れないなら」と考えたら、家族写真かなと思ったんです。
その後、家族を誘って消防署などに行き、消防士やレーサーなどにふんして写真を撮るようになりました。撮影日は朝から晩まで一緒に汗をかき、周りの視線を浴びて恥ずかしい思いもして。家族は「まあ、しょうがないか」みたいな反応でしたが、写真を通して、家族のコミュニケーションは確実に深まったと思います。最近は家族でも個々に過ごす時間が増え、みんなで何かをする機会は少ないでしょう。コスプレはしなくても、家族写真を撮るだけなら一般家庭でもハードルは高くないはず。お勧めです。
妻と子「作った家族」の重みを撮りたい
コロナ禍の今は家に長くいる時間を生かして、僕と妻、6歳の息子の3人で、ボウリングのピンや警察官などになりきって写真を撮っています。自分が生まれた家族と、自分が作った家族は意味合いが違う。子どもはすぐ大きくなっていくので、一日一日の時間が大切に感じます。忙しく毎日が過ぎていきますが、家族写真だけはしっかり撮り続けたい。あのころ、おやじもこんな気持ちで年賀状の写真を撮っていたのかなと、少し分かるようになりました。
浅田政志(あさだ・まさし)
1979年、津市生まれ。日本写真映像専門学校(大阪市)卒業後、スタジオアシスタントを経て独立。2008年、家族でさまざまな職業になりきって撮影した写真集「浅田家」を出版し、翌年に木村伊兵衛写真賞を受賞。東日本大震災後、津波で汚れた写真の洗浄活動を取材した「アルバムのチカラ」を出版した。これらの作品を原案にした映画「浅田家!」(二宮和也さん主演、中野量太監督)が全国公開中。