ドキュメンタリー映画監督 坂田雅子さん  ベトナム戦争を追った米国人の夫 その肩の上に立ち撮り続ける

植木創太 (2022年8月28日付 東京新聞朝刊)

(高嶋ちぐさ撮影)

54歳、死の直前まで飛び回る

 夫は米国・ロサンゼルス出身の写真家グレッグ・デイビスです。ニュース雑誌「タイム」と長く契約し、アジアの現状を伝える特集を世界へ数多く発信しました。2003年に54歳の若さで肝臓がんで亡くなりましたが、直前まで各地を飛び回っていました。

 拠点は日本でしたが、撮影に行ったら数カ月帰ってこないことも。夫婦というよりパートナーという方が実感に近いです。背中合わせでゴムでつながれ、自由に好きな仕事をする。伸びるだけ遠くに行ったら戻る。そんな柔軟な関係が良いと二人でよく話しました。

ベトナムの人々を撮影 戦争の主体を見つけに

 彼はおっとりした人でしたが、正義感が強く、不公正なことを決して許しませんでした。その根底は、高校を卒業直後に従軍したベトナム戦争での経験があったようです。あの戦争は長引くにつれ、米国内の世論が反戦ムードに変わっていくのですが、彼が戦地に向かったのは、その前。民主主義と自由を守るためと言われて従軍し、死の恐怖を経験して何とか生きて戻ると、反戦派が主流。軍事介入の正当性に疑問符が付き、元兵士として軽蔑され、コーラを投げ付けられる。「権力はうそをつく」と心の底から感じたそうです。

 1980年代には、ベトナムへ足しげく通い、戦後の廃虚から立ち直っていく様子と、さまざまな病気や生まれながらの障害に苦しむ人々の姿を写真に収めていました。なぜ、そんなに惹(ひ)かれるのだろうと当時は不思議でしたが、今考えると、心の傷を洗い流すためにベトナム戦争の正体を見つけに行っていたように思います。「戦争は最中を伝えるより、その前と後を伝える方がはるかに難しい」ともよく言っていました。

「枯れ葉剤を浴びているから、子どもは作らない」

 彼は21歳で除隊し、居心地の悪い母国を離れて京都へ来ました。偶然、私の下宿先の2階に住んで縁ができ、それから一緒に暮らしてきましたが、従軍時代について多くを語りませんでした。「自分は戦地で枯れ葉剤を浴びているから、子どもは作らない。リスクがあり過ぎる」。そう話していたと、彼の死後に彼の友人から聞きました。二人の間で話題に上ったこともありましたが、その重要性に気付かなかった私は軽く聞き流していました。ちゃんと聞いておけばよかったと後悔しています。

 彼の死をきっかけに、枯れ葉剤の影響を追い始めて、もうすぐ20年。「standing on the shoulder of Giants(=巨人の肩の上に立つ、先人の功績に基づき新たに発見するの意味)」という英語の言い回しのように、これからも彼の肩の上に立ち、映画を作り続けていきます。 

坂田雅子(さかた・まさこ) 

1948年、長野県生まれ。群馬県在住。京都大文学部卒。ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤被害のその後を追うドキュメンタリーを数多く制作。順次公開されている5作目の映画「失われた時の中で」では、高齢化する被害者家族の姿などを記録した。東京・ポレポレ東中野で上映中。9月8日開幕の「あいち国際女性映画祭」でも上映予定。