エッセイスト 犬山紙子さん 一人で母を介護したが限界に…SOSを出したら道が開けた

長田真由美 (2022年9月10日付 東京新聞朝刊)
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犬山紙子さん(本人提供)

家族のこと話そう

社会人2年目で退職 大好きな母のため

 大学3年の時、母の動きが緩慢になり、病院で検査しました。「シャイ・ドレーガー症候群」という進行性の難病。パーキンソン病に似ていて、最初はゆっくり歩いていたのが、車いすが必要となり、いずれ寝たきりになる。当時、予後が4~7年と言われ、絶望しました。

 うちは父と母、姉弟の5人家族。私は仙台にある出版社に就職していましたが、誰かが母の介護をする必要があり、社会人2年目で仕事を辞めました。その時、母はほとんど車いす生活。毎日、夜中に2、3度、トイレで起こされた。排尿排便障害があって、終わるまで30分待ち続け、連続してぐっすり眠れませんでした。書き物を仕事にするという小さい頃からの夢も先が見えず、私のキャリアはどうなるのかと不安も。でも、家族を大切にしてくれた母が大好きで、介護もしたかったんです。

 今でこそヤングケアラーが認知されていますが、当時は家族が介護を担うことが当然で、そういう存在が見えてなかった。ケアする側の話を聞いてくれる人や情報があれば助かったと思います。

 厳しい毎日が続き、退職して数カ月後、東京に住む姉にSOSを出しました。すぐ来てくれてケアマネにかけあい、ヘルパーさんが来る日がぐんと増えた。海外留学中の弟も帰国し、交代でみることに。3週間実家で介護して、次の1週間は東京で生活。もともと介護をしながら母の横で、友人の恋愛模様をブログに書いていたのですが、それからは東京にいる間にネタを探していました。ブログがきっかけで29歳の時にエッセーを出版。外とのつながりが持てたから出版に至り、その後、コメンテーターとして情報番組へ出演することになった。きょうだいのおかげです。

児童虐待をなくしたい チームを結成

 その後結婚し、2017年に娘を出産。翌年に、東京都目黒区で5歳女児が虐待死するという悲しい事件が起きました。親になって分かりましたが、子どもは声を上げるのが難しい。子どもの声を反映するために、大人が目をそむけてはいけない。私は虐待の専門家ではありませんが、何かできることがあるのではないかと思いました。コメンテーターをしていて、SNSで発信することもできる。女友達に話したら、みんな賛同してくれた。それが児童虐待をなくすために活動するチーム「 #こどものいのちはこどものもの 」につながりました。

 娘は今5歳。母は今年4月に亡くなりましたが、ちょこちょこ実家に帰って娘の顔を見せることができました。娘もいっぱい母に話し掛けてくれた。コロナがなければもっと触れ合えたのに。それだけが残念です。

犬山紙子(いぬやま・かみこ)

 1981年生まれ、大阪府出身。2011年にイラストエッセー「負け美女 ルックスが仇(あだ)になる」でデビュー。情報番組「スッキリ」や「ワイド!スクランブル」のコメンテーターなどテレビ、ラジオ、雑誌、ウェブなどで活動中。2018年に児童虐待問題に声を上げるタレントチーム「 #こどものいのちはこどものもの 」を発足した。

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