映画監督 大島新さん 嫌だった「大島渚の息子」という境遇 今は’’論理型’’を受け継いで
「愛のコリーダ」友達が変な空気に
9年前に亡くなった父、大島渚は、家族としても映画人としても大きな存在でした。家では6歳上の兄と僕にとても甘かった。でも、若い頃は大島渚の息子という境遇を嫌だと感じていました。役者で舞台が始まると1カ月以上家に帰ってこない母のことも相まって、小学生の頃、将来の夢を「ふつうの人」と書いたこともあります。
父の代表作の一つ「愛のコリーダ」(1976年)で、過激な性描写が問題になったことは特にこたえました。公開時は小学1年で何も分かりませんでしたが、表現を巡る裁判が続くうちに年を重ね、「お父さんは、いやらしい映画を作ったようだ」と事情を把握しました。友達からも変な空気が伝わってきて、心の底から「勘弁してよ」と思っていました。中学生ぐらいまでは、空が曇って見えていた気がします。
「なぜ君は総理大臣に―」で手応え
ただ、映像の道へ進んだことに、父の影響は少なからずありました。昔から家に映画のスタッフが出入りし、どんな作品にしたいか熱く議論していた。その楽しそうな姿に憧れました。映画ではなくテレビ、フィクションではなくドキュメンタリーだったのは、学生時代に沢木耕太郎さんなどのノンフィクションにはまったから。父と同じ道に入ることへの無意識の抵抗もあったかもしれません。
結局、初めてディレクターとして作品を撮る前に、父が脳出血で倒れ、作品に対する感想はほとんど聞けていません。ただ、以前には「ドキュメンタリーで大事なのは対象への強い興味、好奇心。それをどれだけ持続的にやれるかだぞ」と言っていました。昨年公開した「なぜ君は総理大臣になれないのか」では、自分なりにそれに近いことができたと思います。
受け継いだ部分、あると思いたい
父の本質は言論人。思想家が映画界に紛れ込み、映画という手段で言論を展開してきたと僕は思っています。家でも会話は常に論理的で右脳より左脳、感覚よりロジックで動いていました。表現したいものに向けて作品を組み立てるので、極端で観念的なものが多いのでしょう。
だからでしょうか、父ほど書籍を残した映画監督を知りません。いずれの文章も論理的でうまく、小説家や新聞記者になっていてもおかしくないと素直に思います。僕の小学校の卒業式で父母代表として読んだあいさつも名文でした。同級生の語り草になっています。
論理型の監督はドキュメンタリー畑に多く、父もいくつもの作品を手掛けました。異次元でまねのできない表現者である父の要素のうち、僕が多少なりとも受け継いでいる部分と思いたいです。
大島新(おおしま・あらた)
1969年、神奈川県生まれ。フジテレビのディレクターを経て、2007年に監督デビュー。衆院議員の小川淳也氏を追ったドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」の続編「香川1区」が全国で順次公開中。父は映画監督の大島渚さん、母は俳優の小山明子さん。
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