劇作家・演出家 鹿目由紀さん 「なにくそ」決めつけへの反発は親譲りかも

中山敬三 (2022年2月27日付 東京新聞朝刊)

家族との思い出を話す劇作家の鹿目由紀さん(大橋脩人撮影)

小6の時、知らない人の車に乗せられて

 子どもの頃は、とにかく落ち着きがなくて、あれやりたい、これやりたいと言い続けていたと思います。おおらかな両親で、私のやりたいことを否定したことは一度もありません。ただし「自分のそそっかしさを理解した上でやりなさい。注意力散漫で絶対しくじるから」とたしなめられていました。

 小学6年の時の学芸会の当日、スクールバスに乗り遅れ、まったく知らない人に車で送ってもらったことがあります。近くのケーキ店の人だと分かり、親がお礼に伺い、ケーキをたくさん買ってきた。その後、しこたま叱られました。人懐こくって、誰にでもほいほいついて行くのが心配でしょうがなかったのだと思います。

劇団立ち上げ 両親は「いつかけじめを」

 幼稚園から高校まで福島県会津若松市にあるカトリック系の私立に通っていて、いわゆるカトリック推薦入試で名古屋市の南山大に入りました。首都圏や京都の大学という選択肢もありましたが、トヨタ系列の会社に勤めていた父が「名古屋の方が分かっているから安心だ」と勧めてくれました。

 在学中に劇団「あおきりみかん」を立ち上げた時は「記念に1回だけ。旗揚げ公演が旗下げ公演でいいや」ぐらいの気持ちでしたが、その1回目が気に入らなくて、2回、3回と続いていきました。卒業後も演劇を続けていることを、両親は認めていましたが「周りも巻き込んでいるし、いつかけじめをつけなさい」と忠告されました。

 劇団員と話し合って、「1000人以上の観客動員」「演劇賞を取る」「納得のいく作品をつくれる見込みを持つ」という3つの目標を、私が30歳になるまでに達成できなければ解散すると決め、なんとか達成することができました。

風評被害にも「全然大丈夫」父を尊敬

 東日本大震災の時は、実家と2日間連絡が取れなくなり、ずっと安否情報を見ていました。父は会議で福島市にいたのですが、窓ガラスやテレビの画面が割れるほどのひどい揺れだったそうです。物資を運ぶ人に「福島県に入りたくない」と言われ、栃木県境で会社の物資を受け取り、車で配る仕事を率先してやっていました。風評被害で地元の野菜が売れなくなった時も、たくさん食べて「全然大丈夫」と言える人。そういうところを尊敬しています。

 何かを決めつけられると「なにくそ」と反発するところは親譲りなのかもしれません。就職に関する講義の際、教授がすごく上から目線だったので「こんなに言われてまで就職なんかするものか」と途中で教室を出ました。正義感? ちょっと違いますね。

鹿目由紀(かのめ・ゆき)

 1976年、福島県会津若松市生まれ。南山大在学中に劇団「あおきりみかん」を旗揚げ。2010年に「ここまでがユートピア」で日本劇作家協会新人戯曲賞。2008年から4年連続、同協会東海支部プロデュース「劇王」で優勝し、「劇帝」の名を授かる。現在は劇団を一時離れ、小説執筆などにいそしむ。