タイの俳優 ミュー・スパシットさん 芸能界入りを父に認めてもらうため、猛勉強で「金メダル」

小原健太 (2023年9月24日付 東京新聞朝刊)

家族について話すミュー・スパシットさん(横田信哉撮影)

けんかばかりだった妹がマネージャー

 父、母、妹との4人家族です。妹は1歳下。子どもの頃は目が合っただけで、けんかをしていました。ここ1年くらいは僕のマネージャーをしてくれています。僕の好き嫌いをよく分かっているから、あまりしゃべらなくてもよく、仕事がしやすいですね。マネージャーの仕事は本当にいろいろで大変そうだけれど、いつも諦めずにやっているのがすてきだと思っています。

 僕の出身はタイのノンタブリー県というところで、バンコクの隣。街だけど、あまり高いビルはない。バンコクを東京の中心部とすると、ノンタブリーは上野って感じでしょうか。でもいろんな野生生物が出ます。「トッケイヤモリ」っていう約30センチのトカゲは、一度かみついたらなかなか放さない。子どもの頃は外で遊ぶのが怖かったですね。

 タイはあまり自炊をしない文化ですが、母はよく料理を作ってくれました。ただ、メニューがいつも一緒で、子どもの頃は外に食べに行く方が好きだったな。あと当時から僕は何かを集めるのが好きで始まりはデジモンの指人形。小学校の頃、おやつ代のお金をこっそりためて、1週間に1個ずつ。50体くらいかな、まだ残っています。母にはよく「またそんなに買って」と言われましたが、今ではコレクション用の部屋があって、最近は新しい部屋の用意など手伝ってくれます。「自分で稼いでいるのだから買いたいものを買いなさい」って。

140人ほどの学科で、最優秀の学生に

 父は厳しい雰囲気で、口数も少ない人。靴やかばんの材料になる革の販売店を営んでいました。毎週日曜日には祖母の家に行っていて、店はちょうどその向かいにありました。でも子どもの頃はあまり話した記憶がありません。

 僕は16、17歳の時、バンコクの中心街「サイアムスクエア」で、塾から出てきたところをスカウトされました。芸能界入りに、母は背中を押してくれましたが、父はあまり賛成してはくれませんでした。勉強に集中してほしいと思っていたようです。

 だから、芸能活動と学業を両立できるということを証明しようと頑張りました。大学では産業工学を学び、140人ほどいる学科の中で最優秀の学生に贈られる「第1級金メダル」をもらって卒業することができました。今までで一番の親孝行を挙げるとしたら、このことです。

 大人になって、人を育てることの難しさを感じられるようになりました。自分と妹を育ててくれた両親をとても尊敬しています。8月の来日は家族も一緒でした。父は長時間の飛行機はつらそうで、遠出をしたくなくなっているように感じますが、日本は近いので大丈夫かな。東京、大阪近辺は何度も来ているので、他の街にも行ってみたいです。

スパシット・ジョンチーウィーワット(Suppasit Jongcheveevat)

 1991年生まれ。2019~21年にタイで放送されたドラマ「TharnType/ターン×タイプ」シリーズ主演で有名に。日本では今年8月に3回目のファンミーティングを開いた。タイのカセサート大を卒業後、チュラロンコン大で修士。同大で博士号取得を目指している。「ミュー(Mew)」はニックネーム。タイでは誕生時、親が本名と同時に名付ける風習がある。

コメント

  • 生まれながら、体と心の違和感を感じて暮らす人は、いるんだと、理解できるようになりました。LGBTの方にはまだ苦難が有るとは思います!氷山を溶かすようなものだけど、絶対に道は開けると信じています。私の友
    りんりん 女性 60代 
  • お父様との関係性はあまり語られてなかったので、知れて嬉しく思います。 ありがとうございます。 東京、大阪、、次は是非名古屋にお越しいただけたら。 待っているファンも居ますし、素敵な水族館やお城も
    iori 女性 50代