【選択的夫婦別姓がわかるQ&A⑨】最近急に聞くようになった? もっと議論が必要?

【疑問15】選択的夫婦別姓制度は、いつ頃から議論されているのでしょうか。

 議論は最近始まったのではなく、1996年の法制審答申からでもなく、1947年の民法改正案の起草の際からから始まり、ずっと続けられてきました。

 1947年に明治民法の親族相続編が大改正されたとき、すでに立案者の1人である中川善之助教授から夫婦別姓の提言がなされていました。この大改正は、1947年に施行される新憲法の人権規定に沿うものとなるよう、300条以上の条文を半年という短期間で行われたので、不十分なものでした。そのことを当時の国会議員らも十分わかっていて、改正案が成立した際に、衆議院では「本法は、可及的速やかに将来において更に改正する必要があることを認める」という付帯決議がされました。

 特に、婚姻や縁組など身分の変動と氏の移動を関連させるままとしたことや戸籍法の改正が中途半端であったことについて、宮沢俊義さんという著名な憲法学者が、「家破れて氏あり」という言葉を残したことはあまりに有名です。

 その後、戦後の混乱が少し落ち着いた1954年、法務省は法制審議会に対し、身分法の全面的改正のための調査・審議を諮問し、法制審議会の民法部会小委員会が、選択的夫婦別姓の問題を含め審議を開始しました。ただし、このときの議論は、改正要綱案作成までには至らず、1955年、59年の2度にわたり、「留保事項」として審議内容を残すにとどまり、いったん法改正の議論は止まりました。  

 しかし、今度は、国民の側から選択的夫婦別姓を求める声が出始め、働く女性既婚者の割合が増え始める1975年頃には、選択的夫婦別姓を求める最初の国会請願がなされました。翌1976年には離婚の際に氏を選べる婚氏続称制度ができ、婚姻の出口の氏の問題が先に解決しました。

 75年に国連で成立した女性差別撤廃条約16条には、婚姻の際の氏の選択の平等が定められていますが、国際的な波は日本にもおよび、80年代に入ると選択的夫婦別姓を求める民間の動きが活発化していき、85年の女性差別撤廃条約批准を経て、1988年には国立大学での旧姓の通称使用を求める裁判が始まりました

1980年代には各地で選択的夫婦別姓を求める活動が活発化した。写真は88年、名古屋市で開かれた女性らの集まり

 こうした国の内外の動きを受けて、1991年、法制審議会の身分法部会が婚姻および離婚に関する制度全般の見直しの審議を再開始しました。複数回にわたる中間報告公表やパブコメの結果を経て、1996年、法制審議会は、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫若しくは妻の氏を称し、又は各自の婚姻前の氏を称するものとする」という選択的夫婦別姓制度の導入を含む「民法の一部を改正する法律案」を答申し、法務省がこれを法案として公表しました。

 しかし、この法案は与党自民党の賛同が得られず、1996年に法案は閣議にすらかけられず、以来、閣法としては国会に提出されることなく今に至っています。この約30年間の間に、野党からはたびたび立法案が提出されてきましたが、国会での審議に入らないつるしのままとされています。こうした動かない国会の状況を踏まえ、国連の女性差別撤廃委員会は日本に対し、2003年から昨年の間に4回にわたり、早急に選択的夫婦別姓制度を法制化するよう勧告を続けているのです。

【疑問16】国民のほとんどが賛成するまで国会で議論を尽くすべきではないですか。

 結婚で望まない改姓をしたことで、日々、アイデンティティの喪失感を抱いている人、通称使用をしてもその煩雑さや通称が通用しない場面での不利益に苦しんでいる人、改姓を回避して事実婚にして法律婚を諦めている人たちがいます。

 不当な人権侵害によって実際に困っている人がいる場合でも、多数者が認めなければその状態を解消することが許されないとしたら、少数者の不利益はいつまでも解消されないことになってしまいます。少数者の人権侵害は、多数者がその問題の深刻さに気付きにくいところにその本質があります。多数決の原理よりも少数者の人権の尊重にこそ民主主義の価値があり、国民のほとんどが賛成になるのを待つべきではありません。

 歴代首相は、数十年前から抽象的な答弁を繰り返しています。

 昨年の自民党総裁選時は選択的夫婦別姓制度について「実現は早いに越した事はない」と発言していた石破茂首相も、就任後の国会答弁では、その姿勢が大幅に後退。「国民の間に様々な意見があり、国会における議論の動向などを踏まえ、更なる検討をする必要がある」「しっかりと議論し、より幅広い国民の理解を得る必要がある」などと述べるにとどまり、制度導入を待ち望んでいた人の間に失望感が広がりました。

選択的夫婦別姓制度について話し合う勉強会出席者と超党派の女性国会議員(2024年12月)=東京・永田町の参院議員会館で

 とはいえ、党内の反対派への配慮から慎重姿勢に転じるのは今に始まったことではありません。

 2021年には、選択的夫婦別姓に理解があるとみられていた岸田文雄首相(当時)も「選択的夫婦別氏制度の導入については、現在でも国民の間に様々な意見があることから、子どもの氏の在り方についてしっかり議論をし、より幅広い国民の理解を得る必要があると考えています」と答弁し、同じく菅義偉首相(当時)も「我が国の家族のあり方に関わる事柄であり、国民の間にも様々な意見があります。政府としては、男女共同参画基本計画に基づいて、国民各層の意見や国会における議論の動向を注視しながら、検討を進めてまいります」と答弁しています。

 本来、夫婦が同姓家族であることを重視するかどうかなどは、国や社会が押し付けるべきものではなく、それぞれの家族や夫婦が決めればよいことです。選択制である以上、夫婦同姓でいたい人達にマイナスの影響はなく、各家庭の「家族のあり方」が揺らぐことはないはずです。

 それにもかかわらず、選択的夫婦別姓制度の導入は、「様々な意見がある」とか「慎重に検討すべき」といった理由で、これまで数十年にわたって見送られ続けています。人権を救済するにはあまりにも長い時間が経過しているのではないでしょうか。

◆次の疑問は、近日公開予定。

【子育て世代の疑問に答えます】

 9月の自民党総裁選で争点の一つになった「選択的夫婦別姓」。夫婦が、同じ姓を名乗る(夫婦同姓)か、それぞれ結婚前の姓を名乗り続ける(夫婦別姓)かを選べる制度です。夫婦同姓を法律で義務づけているのは世界でも日本だけで、晩婚化やグローバル化、IT化など時代の変化に伴い、さまざまな不都合が生じています。そして、その不都合を感じているのは、ほとんどが女性。男性の議員や経営者、裁判官らに訴えても理解を得にくい問題でもあります。

 最近よく耳にするようになったけれど、詳しい内容が分からず、「今までと違うのは、なんとなく不安」という人もいるでしょう。衆院選を前に、子育て世代にも身近な疑問を、別姓訴訟弁護団にかかわる弁護士、榊原富士子さんと寺原真希子さんの著書「夫婦同姓・別姓を選べる社会へ」(恒春閣)を基に解き明かします。

家族の絆がなくなる? 周りは分かりづらい?

子どもの姓はどうなる? かわいそうではない?

別姓だと戸籍はどうなる? 制度が崩壊しませんか?

旧姓を通称として使用すれば問題ないのでは?

旧姓と戸籍姓を使うことで困ることって?

国連の女性差別撤廃委員会が法改正の勧告?

同姓でないと同じお墓に入れない? 一夫多妻制を認めることになる?

夫婦同姓は日本の伝統? 家制度が廃止された経緯は?

⑨最近急に聞くようになった? もっと議論が必要?(このページ)

選択的夫婦別姓とは

 夫婦が、同じ姓を名乗る(夫婦同姓)か、それぞれ結婚前の姓を名乗り続ける(夫婦別姓)かを選べる制度。1996年、法相の諮問機関「法制審議会」が導入を盛り込んだ民法改正法案要綱を答申したが、自民党保守派から「家族の絆が壊れる」といった反対意見が強く、国会に上程されないまま30年近くの年月が流れた。以前は別姓を認めていなかった国も男女平等などの観点から制度を是正する中、日本は別姓を選べない唯一の国として取り残されている。2023年に婚姻した夫婦のうち94.5%が夫の姓を選択した。

 別姓を認めない日本に対し、国連女性差別撤廃委員会は再三の改善勧告をしている。日本は、旧姓を通称使用する独自の政策を推進しているが、グローバル経済の中、二つの名前を使い分けるローカルルールとして混乱のもとにもなっている。多様性や公平性なども含めて課題に対応する「DEI」の観点から、経団連は24年6月、選択的夫婦別姓の早期実現を政府に求める提言を発表した。

著者の紹介

◇寺原真希子(左) 東京大法学部卒業後、司法試験に合格。長島・大野・常松法律事務所など東京都内の事務所で勤務後、米ニューヨーク大ロースクールに留学しニューヨーク州弁護士資格を取得。帰国後、旧メリルリンチ日本証券での企業内弁護士を経て現在、東京表参道法律会計事務所の共同代表。2011年に選択的夫婦別姓訴訟弁護団に加わり、22年から弁護団長。

◇榊原富士子(右) 京都大法学部卒業後、1981年から弁護士。婚外子相続分差別訴訟、子どもの住民票や戸籍の続柄差別違憲訴訟などを担当。離婚と子どもに関するケースを多く扱う。2009~14年、早稲田大大学院法務研究科教授。2011~22年、選択的夫婦別姓訴訟弁護団長を務めた。