IT企業「エイチーム」社長 林高生さん 「あきらめるのは許さない」人生で一度だけ、僕に強く怒った母

(2020年7月12日付 東京新聞朝刊)

林高生さん(エイチーム提供)

5人きょうだい 祖父と父がで亡くなって

 僕は5人きょうだいの長男で、父は陶芸家、祖父も製陶業を営んでいました。焼き物を作るための粘土とかが家にあったので、よくいじって遊んでいた。祖父にとって、僕は初めての男の孫。特にかわいがってくれて、週末になると、いつもおもちゃを買ってもらっていました。

 僕が小学2年のときに祖父が亡くなり、翌年には父も急死。母は喫茶店を営むなどして生計を立て、僕ら5人を養うようになりました。借金も抱え、生活は苦しかった。長男として自分がしっかりしないといけないと、自然に感じるようになりました。

プログラミング、難しくても独学で熱中

 初めてパソコンと出合ったのは、小学5年のとき。子ども向けのおもちゃで、当時はまだ珍しく、高価でしたが、僕がねだると、母が買ってくれました。それを使ったプログラミングが面白くて熱中。最初は全く理解できなかったけれど、本を読んだりして自分で勉強し、どんどんのめり込んでいきました。

 祖父と父が早くに亡くなったこともあり、分からないことがあっても、自分で調べて勉強するしかありませんでした。だから、プログラミングで難しいことがあってもできないとは思わなかったし、大人になって会社をつくっていくときも、全て自分で考えてやってきました。誰にも頼れない、自分でやるしかない、という幼いころの経験が、根本にあります。

成績が落ちても何も言わなかった母が…

 母は高校の美術科コースを出て、愛知県内の美術館で働いたこともある、芸術系の人。僕が小学3、4年ぐらいのとき、マーガリンの空き箱と針金を使ってカニを作ろうとして、うまくできずにあきらめたことがありました。母からは「世の中にはもっと複雑な機械がある。そのぐらいであきらめるのは許さない」と、強く怒られました。

 僕がプログラミングばかりして中学校に遅刻したり、成績が落ちたりしても母は何も言わなかったけれど、あんな怒り方をしたのは、あのときだけ。強く影響を受け、以来、僕は、何かをつくりあげることに強いこだわりを持つようになりました。

ビジネスしている姿、母に見せたかった

 母は僕の将来にすごく期待していましたが、僕は受験に失敗して高校に行っていないし、アルバイトばかりしていて、一度も就職したこともない。親からすると、期待と大きく違った子だったかもしれません。

 僕が会社を創業して間もなく、母は脳梗塞で倒れ、事業が軌道に乗ってきたころには植物状態になり、そのまま亡くなりました。

 今の僕があるのは、好きなことをさせてくれた母のおかげ。ビジネスを何とかうまくやっている姿を、見せてあげたかったですね。

林高生(はやし・たかお)

 1971年、岐阜県土岐市生まれ。中学卒業後、アルバイト、学習塾経営などを経て、1997年に同市でエイチーム(現在の本社は名古屋市)を創業。2012年4月に東証マザーズ上場後、史上最短の233日で東証1部への市場変更を実現。「ヴァルキリーコネクト」「ダークサマナー」などゲームアプリの制作や、情報サイト、通販サイトの運営などを手掛ける。東京新聞夕刊「紙つぶて」連載中。