コロナ禍でスポーツ大会が中止 目標を失ってしまった君へ 松井秀喜さんの流儀〈アディショナルタイム〉
「予期せぬ障害が立ちはだかったら」と尋ねたら
松井秀喜さんは日本を代表する野球選手です。1993年にプロ野球巨人に入団し、四番として活躍しました。2002年には米大リーグ・ニューヨーク・ヤンキースに移籍。09年のワールドシリーズでは日本人選手として初めてMVPを獲得しました。日米通算成績は507本塁打、2643安打、1649打点。2012年で引退したのが、惜しまれる強打者でした。
そんな松井さんにこんな質問をしたことがあります。予期せぬ障害が目の前に立ちはだかったとき、どんなことを考えているのか、と。すると、彼はこう答えてくれました。「自分がコントロールできないことは一切考えないようにしています。それだけですね」
話を聞いた当時、松井さんは巨人の主力バッター。相手投手からいつも厳しく攻められていました。「野球というのは四番が打つと、チームに勢いが出るでしょう。だから、ピッチャーは四番だけには打たれないように、細心の注意を払って投げてくるんです」
続けて、「巨人の四番ならなおさらで、ほとんどがボール球か、ストライクゾーンぎりぎりの球。普通のストライクなんて投げてはくれません。だいたい1試合で4回ほど打席に立つけれど、まともに打てる球は1球あるかないか。相手の投げ損ね、いわゆる失投を確実に仕留められるよう、じっと待つしかないんです」
「自分でコントロールできないこと」が続いても
カッコ良くホームランを放つ姿から、打者は自由で華やかに見られがちですが、実は受け身な存在です。球を投げる投手に主導権があり、打者はその球に対処するだけ。「いくらど真ん中にストライクを投げてくれと祈っても、相手は投げてくれないでしょう(笑)。だから、自分のできることだけに専念する。自分がコントロールできないことや、考えても仕方がないことは考えないようにしています」
考えてみれば、彼の人生は自分ではコントロールできないことの連続でした。1992年夏、松井さんは星稜高校の主将として、夏の甲子園大会に出場しました。しかし、待っていたのは日本の高校スポーツ史上最も有名な出来事。明徳義塾との試合で5打席全てで敬遠されたのです。
一度もバットを振ることなく試合に敗れた松井さんですが、この年のドラフト会議では意中の阪神ではなく、巨人から指名を受けます。どちらも自分ではどうしようもないこと。松井さんは怒ることも悔しがることもせず、与えられた場所でベストを尽くし、球界屈指の打者に成長していきました。
ボクシング世界王者・村田も「ニーバーの祈り」
言葉は違えど、ボクシングWBA世界ミドル級王者の村田諒太選手も同じようなことを言っていました。以前、東京新聞運動面のコラムでも書きましたが、彼は取材中に米国の神学者ニーバーが唱えた「ニーバーの祈り」を唱えました。
「神よ、変えることのできるものを変えるだけの勇気を与えたまえ。変えることのできないものを受け入れる冷静さを与えたまえ。そして、その二つを見極められる知恵をください」
これは松井さんの言葉と根っこが同じ考え方。勝負の世界に生きるアスリートは示し合わせずとも、同じ結論に達するのかもしれません。
今年はコロナでスポーツ大会の中止が相次ぎ、多くの子どもたちが貴重な成長の機会を失いました。落胆している子どもに何と声をかけていいかわからないときには、ここにある言葉を教えてあげてください。松井さんはこうも言っていました。「過去はコントロールできないけど、未来はコントロールできる」。憧れの野球選手の言うことなら耳を傾けてくれるはずです。
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