ひるまず、乗り越えず、自然体で サッカーW杯に初の女性審判として参加する山下良美さんの考え方〈アディショナルタイム〉
「夢のまた夢」だったW杯の審判
10月中旬、山下さんは日本サッカー協会(JFA)主催の合同取材会に出席し、大会への意気込みを語りました。「これまでW杯は雲の上のような、夢のまた夢のような大会だと思っていました。でも、参加する以上は全力を尽くしたいと思っています」
晴れやかな表情だったのも、無理はありません。これまで男子のW杯で女性が審判を務めたことはなく、今回が初めて。国際サッカー連盟(FIFA)は今回のカタール大会で主審36人、副審69人の中に3人ずつ女性を参加させることを決め、主審の1人に山下さんが選ばれたのです。
初めて女性審判が男子のW杯に参加すること、しかもそれがイスラム圏のカタールで行われることから、取材会では女性の社会参加やジェンダーに関する質問が相次ぎました。
ーW杯に女性審判として参加する意義を教えてください。
「私がとか、今回のW杯がではなく、サッカーというスポーツが女性の活躍や社会進出を引っ張っていく、その中で自分も頑張っていければ」
ー自分が女性活躍の代表者のように捉えられることについてはどう思いますか?
「今はいいことだと思っています。第一歩、最初のステップとして可能性が広がるのであれば、そういうふうに捉えられてもいいと思います」
ー女性だからこそ、男性以上にできることがありますか?
「もしかしたらあるのかもしれないですけど、それ以上に今までどうしてきたか、どう準備やトレーニングしてきたかが重要だと思います」
一つ一つ丁寧に、気負うことなく話していたのが印象に残りました。
1試合で13キロも走る過酷な仕事
サッカーの審判というのは過酷な仕事です。主審は規定で試合中、ボールから20ヤード(約18メートル)以内にいることとされており、トップリーグでは1試合で13キロも走ると言われています。概ね105メートル×68メートルの大きさのピッチを、ほとんど90分走り通しといっても過言ではありません。
そのため、審判は日々、選手顔負けのトレーニングで自身を鍛えます。山下さんはスプリント(短距離ダッシュ)を中心に走力強化をしているそうですが、「選手のようにチームで集まって練習しないので、孤独という部分は大変かも」。
体力だけではありません。サッカーでは判定を不服として、選手たちが、大声で文句を言いながら審判に押し寄せることがあるのですが、そんな状況でも冷静な判断力が求められます。
山下さんは「審判としてやるべきことは変わらない」と言いつつ、自分より体格の良い選手が迫ってくる状況には「本心ではびびったり、ひるんだりしています(笑)。でも、びびっていないように、ひるんでいないように見せているんです」と言って、周囲を笑わせていました。
競技は4歳から、兄の背を追って
山下さんとサッカーの出合いは4歳のとき。2つ上の兄がプレーする姿を見たのがきっかけでした。高校ではサッカーから離れ、バスケットボール部に入ったそうですが、大学で再開。卒業するタイミングで、先輩に「一緒にやろうよ」と誘われる形でレフェリーの道に入ったそうです(山下さんがサッカーを始めた経緯や審判への思いについては、日本サッカー協会の100周年企画でも見られます)。
今回、話を聞いて感じたのは、ことさら男女の別を意識しないという姿勢でした。
「男性女性にかかわらず、全ての審判員が夢を持てるというのがすごくうれしいんですよね」
どんな質問にも力まず、自然体で答える姿は、女性の社会進出は当たり前で、男性女性と騒ぐこと自体がすでに時代遅れでは、というメッセージのように感じました。
私は「壁を乗り越えようとしない」
考えてみれば、自然体でいることは大舞台で仕事をする際、最も必要なことかもしれません。山下さんはこれまで19年女子W杯フランス大会や21年東京五輪などの大舞台で笛を吹いてきましたが、こんな独特の言い回しで自身の活動を表現しました。
「私はあまり壁を乗り越えようとしないタイプなので。穴を見つけて、そこをすり抜けていくタイプなので」
目指す先、壁の向こう側に行くのに、絶対に乗り越えようとか、そんな必要以上の気合や力はいらない。自然体で解決方法を見つければいい。私はそういう意味に受け取りました。会見中、補足するように「やるべきことをやる。そのときにベストだと思う対応を一つ一つやる。そのための準備をするだけなんです」と繰り返していたのも、うなずけました。
男性審判に対する女性審判の比率はまだまだ低いのが現状です。それでも今回の大会が大きな一歩になるのは間違いありません。毅然とした態度で笛を吹く女性審判の姿を見て、知って、憧れる子どもたちは世界中で生まれることでしょう。サッカーW杯カタール大会は11月20日に開幕し、12月18日まで行われます。
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