〈パパイヤ鈴木さんの子育て日記〉6・プラマイゼロ論
ある日、家に帰ったら娘が号泣していた。友達が、娘の図工の作品(紙細工の携帯ストラップ)にケチをつけ、さらに「作り直してこい!」と言ったらしい。友達は工作をさぼっていたというから、かなり理不尽だ。
しかし、泣くほど怒るというのはすごいことだと思った。もし僕が同じ立場だったら、怒るというよりあきれてものが言えないからだ。本来なら「そいつとそいつの親を連れて来い!」と言いたいところだが、ぐっとこらえて娘と話をした。
「その子のおかげで勉強になった」
僕は何事もプラスマイナスゼロだと思っている。子どもたちにもそう話してきた。娘に聞いた。「その子はこれからどうなると思う?」。娘は「分からない」と言った。僕は続けた。「嫌なことを言われると泣くほどつらいと分かったように、これからどんなことがあっても、他人にひどいことを言ってはいけない。つらかった分、その子のおかげで勉強になったとしたら、それでいいじゃないか」
これが僕のプラスマイナスゼロ論だった。娘はまだ「悔しい」と泣いていた。妻が言った。「よし、その子の言うこと、聞いてやろう。完ぺきに作り直してぎゃふんと言わせてやろう!」。娘は「間に合わない」と言ったが妻は聞かなかった。「間に合わないと思ったら間に合わないの! 間に合わせるの!!」
もし、それができたらかっこいい。いや、妻ならきっとやらせるだろう。困難があると、それを逆手に取って子どもたちを成長させる。そういう人だ。
子どもは日々成長していく
翌日、僕なら仮病を使ってでも休みたいところだが、娘は普通に学校に行った。いや、多分娘も嫌だろう。でも、もし休んだらその子に負けたことになってしまう。以前、不登校になりそうだったとき、妻にさんざん言われたことだ。それを思い出したのか、昨日のことは何もなかったかのように見える。昨日より少したくましく見えたくらいだ。そうやって、子どもは日々成長していくのだろう。
その後、娘の奮闘は続き、作品は完ぺきに仕上がった。その子への怒りをぶつけたからなのか。もしそうなら、その子に少し感謝しなくてはいけない。娘を泣かした不届き者に感謝? これもまた、プラスマイナスゼロ論なのかもしれない。(振付師)