〈パパイヤ鈴木さんの子育て日記〉7・子の心親知らず

(2011年11月18日付 東京新聞朝刊)

パパイヤ鈴木さんの子育て日記

パパと娘でレコーディング

 「今日はマフラーと手袋をして行きたいな!」

 娘の一言が始まりだった。その日は、妻にとっては暖かく、娘にとっては肌寒いという微妙な気温だった。「そんな格好している人はまだいないよ」「別にいいでしょ」というやりとりが続いた。

 娘は最近、妻がよかれと思って言っていることが、いちいち気に入らないらしい。結局、「じゃあ、いいよ!」という感じで学校に出かけて行った。

親はどこまで子どもにアドバイスできるのか

 妻は悩んでいた。「どこまで言っていいのかな」。子どもにいろいろな経験をさせたいはずなのに、自分の尺度で物事を測ってしまっていいのだろうか。何か問題が起きて「私だったらこうするな」と言った場合、その時点で子どもの可能性をつぶしていないか。親はどこまで子どもにアドバイスできるのか。

 僕も気になっていることがあった。親の知らないことは子どもに教えられないのか? 将来の仕事についてもそうだ。もし子どもが「ダンサーになりたい」と言えば、何となくアドバイスできる。だが「サッカー選手になりたい」と言った場合、何歳くらいからどう頑張って、どのぐらいのハードルをどう乗り越えていけばいいのか、想像もつかない。

子どもの可能性をつぶしたくない

 では、うちの子はサッカー選手にはなれないのか。もしそうだとしたら悲しい。子どもの可能性を親がつぶす。これだけは絶対に避けなくてはいけない。

 僕の父親は農家の長男で、選んだ仕事はラテン歌手。実家を継がずに芸能界に入る道を選んだ。親の反対を押し切り、家出のように東京に出たのだろう。大変だったと思うが、父親は、ゼロから立ち向かうエネルギーと勇気を持っていた。

 親としての僕はどうだろう。子どもが大きな壁にぶち当たったとき、自分も今までに経験したことのない巨大な壁として感じられるだろうか。「そんなものはね…」と軽視してしまわないだろうか。

 子どもが自分と全く違った結論を出したとき、親が不安がってはいけないと思う。その結論こそが、その子の持つ可能性なのではないか。「カエルの子はカエル」もいいが「トビがタカを生む」には「親の心子知らず」より「子の心親知らず」が必要な場合もあるのではないか。(振付師)

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