性暴力の被害者は笑顔になってはいけないのか? 伊藤詩織さんへの発言に憤り 作家・吉川トリコさんの思い

勝訴し、目を潤ませて会見するジャーナリストの伊藤詩織さん=12月18日

 ジャーナリスト伊藤詩織さん(30)が、元TBS記者から性暴力を受けたとして損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は「合意なく性行為に及んだ」と認め、元TBS記者の山口敬之氏(53)に慰謝料など330万円の支払いを命じました。

 このニュースを見ていた作家の吉川トリコさんは、「敗訴した相手方の発言に、悔しさと怒りが込み上げた」と語ります。その発言とは、山口氏が18日の会見で語った「本当に性被害にあった方は『伊藤さんが本当のことを言っていない。こういう記者会見の場で笑ったり、上を見たり、テレビに出演してあのような表情をすることは絶対にない』と証言してくださった」というものです。

 性被害など、苦しい体験をした人は、笑えないのでしょうか。吉川さんは、2017年10月27日に中日新聞朝刊カルチャー面に寄稿したエッセーで、流産という自身の体験をふまえて、こうした問題を考えていました。「あらためて、多くの人たちと共有したい」という吉川さんの思いを受け、「東京すくすく」の読者の皆さんにも読んでいただけるよう公開しました。

夏の終わりにあったこと

 先月、流産した。7週目だった。夜中に出血があり風呂場にかけこむと、真っ赤な血があふれ血の塊がいくつも流れた。翌朝、病院に行き、診察を受けた。おなかの中はからっぽだった。「剝がれちゃったかな」と暢気(のんき)な先生の声が聞こえた。

 その日はすこぶる天気がよく、病室の窓から広々した秋晴れの空が見えた。もう夏も終わりだなと点滴を打ちながらうとうと微睡(まどろ)み、目が覚めたらピカチュウが大縄跳びする動画を見て腹がよじれるほど笑った。妊娠中ずっと我慢していた酒をいつから飲めるようになるのか血眼になって調べ、入院に必要なものを買ってくるついでにカツサンドとプリンも頼むと夫にメールしたら、「調子にのるな!」という返事がきてまた笑った。

吉川トリコさん

 そんなに悲しくはならなかった。もちろんショックだし残念だったけれど、生来のドライな性格も手伝って、しょうがないよなとすぐに割り切った。妊娠初期の流産は避けようもなく起こることだし、高齢ともなればかなりの割合にのぼる。先生も看護師もさっぱりしたもので、夫に至ってはキレッキレのスーパードライであった。面会時間を過ぎてからやってきた夫は不謹慎な冗談を飛ばし、妻の体を気遣うどころか己の不調をしきりと訴え、さんざん悪態をついて帰っていった。頼もしくなるほど普段どおりだった。

 これまで私は流産というものをとてもおそろしく、迂闊(うかつ)に触れてはならないものだと思っていた。流産についておおっぴらに語るのはタブーとされているようなところがあるけれど、それが余計に流産というものを遠ざけ、よくわからないものにさせているんじゃないだろうか。実際、友人から流産の報告を受けたとき、私はあたりさわりのない言葉をかけることしかできなかった。流産というものに触れるのがこわかった。いまだったら夫に倣って冗談の一つでも言えるかもしれない。彼女ならきっと笑ってくれるだろう。悲しみは当人だけのもので共有しようもないけれど、一瞬でもそれで心が慰められるなら、いくらでも私はあたりさわりのあることを言いたい。

 夏の終わりにイザベル・ユペール主演の『エル ELLE』を観た。性被害者は打ちひしがれ、傷ついた顔をしていなければならないという世間からの押しつけに真っ向からNOをたたきつけ、けろりとした顔で日常を続行しようとする主人公の姿に胸がすく思いがした。

 この世界には通俗的で定型的な物語が無数に蔓延(はびこ)り、なんの疑問も抱かずそれを他人に押しつけようとする人たちが存在する。流産した女はすべからく悲嘆に暮れるべきだと思っている人にとって私のような女は情が薄いように映るかもしれないが、だからこそ私はこのことについて書こうと思ったのだし、日々、小説を書いているのだと思う。そうすることで独り歩きしそうになる物事を自分の手に取り戻しているという実感がある。物語に人生を乗っ取られないように、物語から自由であるために新たな物語を紡ぐのだ。そう、『エル ELLE』のように痛快な物語を!

 どんな悲劇に見舞われたとしても日常は続くし、週末には楽しみにしていたコンサートや友人との約束が控えている。ささやかだけれど、そのために生きてると言えるようなこと。突然の事故や卑劣な犯罪者に奪われてたまるものか。

 それでも時折ふと、いなくなってしまった子のことを考えてぼんやりすることもあるけれど、それもせんないことよなあ…。(2017年10月27日付 中日新聞朝刊に掲載)

吉川トリコ(よしかわ・とりこ)

 1977年、静岡県生まれ。名古屋市在住。愛知淑徳短大を卒業し2004年、短編「ねむりひめ」で「女による女のためのR-18文学賞」(新潮社)の大賞と読者賞を受賞してデビュー。著書に『グッモーエビアン!』『光の庭』など。8月には名古屋を舞台にした短編集の文庫版『ずっと名古屋』を刊行した。

コメント

  • 30年前のことでした。電車のなかでよく、痴漢に会いました。ある日、丸ノ内線で寝ていると、となりの席の五十代ぐらいの人がしきりに、私の股を触ってきます。何度も振り払ってもやめないのです。今、考えると直ぐ
     
  • 性被害者です。しばらくはもちろん落ち込んだけれど、普通にその後も沢山恋して笑って日々楽しく過ごして結婚もしてます。自分が受けた理不尽な出来事に負けず、前を向き笑って過ごそうと思ってます。心身共に性暴力