〈坂本美雨さんの子育て日記〉57・愛し方を押し付けないこと
「猫が好き」でも、私とは違う距離感
先日、占い師とお呼びしていいのかわからないが、いろいろと目に見えないものがわかる方とお話しする機会があり、猫好きという共通項からうちの猫・サバ美の話に発展し、試しに相談してみた。
「うちの娘は、猫が好きとは言うんですけど、正直、居るのが当たり前すぎるという感じで、あんまり積極的になでたりかまったりしないんですよね」。子どもと猫がべったり一緒に育つ姿に憧れていたが、現実のふたりは付かず離れず、たまにおやつをあげたり触れたりする程度で、思い描いてたほど仲良くないのが気がかりだったのだ。
しばらく違うところに意識を合わせるような様子のあと、彼女は「あぁ…娘さん、好きは好きです。普通に猫好きですよ。でも美雨さんほど異常に好きじゃないってだけです(笑)。美雨さんの飛び抜けた猫好きは生まれつき備わってるものなので、自分を基準にしちゃダメですよ」と笑った。
人の愛の深さを、測ることはできない
え~!? と笑ってその話は終わったが、その言葉はあとでじわじわと効いてきた。自分の基準…例えば、かわいかったらこうするもんだ、いとおしかったらこのくらい愛(め)でるもんだ、という思い込み。それが見えなければ「そこまで好きじゃないんだな」と判断する。ハッ! これは以前、恋人にも指摘されたことがあるような気がする。愛し方を押し付けないで、と。
そうか、私は、猫が好きなら、サバちゃんが大事なら、もっと話しかけたり触ったりこねくり回したり(?)するもんでしょう、と思っていたが、娘は娘のテンションで大事に思っているのだろうし、私の気づいていないやり方で思いやっているかもしれないのだ。
実際、私がサバ美をかまいすぎて煩わしい時には「やめてあげて!」とサバ美を守ったりしている。自分には、無意識に愛の深さを測るようなところがあるのだなぁと反省する。人の愛の深さなんて測ることはできないし、それがどんな深さであれ、表現方法であれ、尊いのだ。
ちなみに、サバ美の愛でかたの一つに「ぶぁふぉっ」というものがあるのだが(アンモナイト状に丸く寝ている真ん中を狙って深く顔を埋めること)、サバ美が寝ていると娘がよく「あ、今ぶぁふぉのチャンスだよ!」と教えてくれる。昨晩もそうしてサバ美に顔を埋めて幸せを吸い込んでいると、横で娘が「愛っておもしろいね…」とつぶやいたのだった。 (ミュージシャン)
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