〈坂本美雨さんの子育て日記〉70・映画を通して届いた、父からの手紙

(2023年6月14日付 東京新聞朝刊)

母と子と、そのまた子どものハリネズミのハリと

10代の頃の、親に見せまいとした痛み

 バンコク行ってくるね~と、3泊4日ほど家を留守にした。初めてのタイは驚くことだらけで、子どものような気持ちだった。母も旅がしたい。知らない世界を見たい。そんなふうに常に言っているし、お母さんたちが自由であることを心の底から応援しているのだけど、同時に、学校帰りの子どもたちに「○○のママじゃね?」と言われると猛烈にうれしい自分がいる。娘に自分が属していることが幸せなのだ。どちらも失わない。相変わらず何も諦めたくないんだなぁと思う。

 是枝裕和監督の最新作「怪物」を見た。語ることが難しい映画だから多くの人に見てほしいと思う。閉鎖的な学校で起こる教師による児童へのいじめ問題と、立ち向かうシングルマザー。初めは安藤サクラさん演じるお母さんと共に腹を立てながら見るのだが、途中から明かされていく真実に何も言えなくなってしまう。子どもの世界には到底大人は踏み込めない。こんなに一生懸命育てていても、親は蚊帳の外だ…と後半はずっと思っていた。

 親は子に多大な影響を及ぼすけれど、子はある時から親にはわからない痛みを自分でなんとかしようとする、そこには何も手出しできないのかもしれない。実際、私もその時代に親には何もさせなかったし、できるだけ見せまいとしていた。それでも、自分は親としてどうするかと考えると、蚊帳の外から全力で守ろうとするしかないのだと思う。言葉で、視線で、蚊帳の外からであっても包んでいたい。

 この映画の音楽は、坂本龍一が担当した。体力的に全てを書き下ろすことは難しかったから、新曲が2曲と、是枝監督が選んだ既存の曲が使われている。既存曲も、この映画のために生まれてきたような必要不可欠な存在感だった。大切なシーンで流れる「aqua」という曲は、父が10代の私に書いてくれた「in aquascape」という曲のピアノバージョン。「aqua」のほうがリリースが先だったが、元々は未熟で、ある意味まっすぐだった私の声で歌うことを想定して作ってくれたものだった。

 是枝監督とお話しする機会を頂きこの曲を選んだ理由を聞くと、これは寿(ことほ)ぎの歌だと思う、と伝えてくださった。生きていることへの祝福だと。その瞬間、涙が出た。10代の頃に蚊帳の中にいたとは言えないけれども、これは外から投げかけてくれた祝福の歌、「きみが生きててよかった」という歌だったのかもしれない。長い時間をかけて、映画を通して届いた手紙だった。

坂本美雨(さかもと・みう)

 ミュージシャン。2015年生まれの長女を育てる。SNSでも娘との暮らしをつづる。 

コメント

  • 坂本龍一の願いは私の願いと同じです。この願いが叶わなけば日本はやっぱり遅れた国、そのなかで戦って居ます。みなさんも身近なところからやりましょう!
    あいりこもも 女性 60代 
  • 親としてできること、すべきことに自問自答しながら発達に偏りのある息子たちを育てています。 “子はある時から親にはわからない痛みを自分でなんとかしようとする、そこには何も手出しできないのかもしれな
    モモス 女性 40代