上橋菜穂子さん「常識の外の世界 物語なら行ける」〈あの人に迫る〉

飯田樹与 (2018年5月26日付 東京新聞朝刊)

 作家であり文化人類学者でもある上橋菜穂子さん(55)は、物語の中でさまざまな立場や背景のある人たちが複雑に絡み合う壮大な世界を織りなす。鳥になって世界を見渡しているかのようなその目はいったい、どのようにして育まれ、何を見つめているのだろうか。

 

小学1年生の時に書いた「太郎の大冒険」が1作目と聞きました。

 タイトルと半ズボンの少年の絵を描いただけで終わった話ですね。私は心臓にちょっと問題があって生まれてきたので、体が弱くて、家の中で父方の祖母がたくさんお話をして遊んでくれました。祖母は身ぶり手ぶりや調子を付けて、口から口へと人が伝えてきたような昔語りをしてくれたのです。母も寝る時に好きな絵本を読んでくれましたし、父も物語の絵を描かせてくれました。小さい時から物語がないといられない子になっていたのです。幼いころはよく物語を作っては弟に話したりしていました。一緒にお風呂に入っていたころは、続き物で考えて、「続きはまた明日~」ってやっていましたね。

影響を受けた本はありますか。

 中学高校の時に後の人生を変える物語と出合いました。一つが英国の作家ローズマリ・サトクリフの「第九軍団のワシ」などの歴史物語。先住民のケルト人と征服者のローマ人という二つの異なる文化、異なる経緯、異なる歴史を背負ってきた若者が出会い、葛藤しながら、やがて理解を深めるような物語に衝撃を受けました。もう一つは「指輪物語」。こちらも種族を超えて多様な者たちが共に旅をする話です。

 文学は、人という生き物をいかに深く掘り下げて表現しているかに大きな評価をおきますが、「世界」は人や動物だけでなく微生物など物言わぬもの、果ては見えない向こう側も含まれる。人は、全てを知り得ない広大な世界の中で生きている。だから、「人を描く」というより「世界の中の人々を描く」ことに興味があったのです。

作家の他に、文化人類学者の顔を持っています。

 文化人類学に出合ったのは、大学2年の時です。アフリカの神話的世界を紹介する本を読み、「アフリカの神話か」って驚いた。神話と聞いて、ぱっと思い浮かぶのはギリシャ、北欧、ケルトなどで、私が知っている世界は偏っていたのだなと思った。文化人類学は、自分が常識だと思っていた世界から外に出るのを大切にする学問。そのことに心をひかれたのが一つ。もう一つは、「自分自身で経験せよ」というのが大きかった。私は本で知識を得ただけの頭でっかちな子どもにすぎないと、ずっと思っていたからです。自分の足で立ち、異文化の人間と触れ合う中からものを知るということが、魅力的だったんです。

文化人類学で学んだことが、物語を紡ぐのに生かされていますか。

 アボリジニの文化を物語に使うというようなことは決してしないのですが、学んだこと、経験したことは、思考の基本になっているのでしょうね。さまざまな異文化の人たちに出会うと、こんなに人間は違うんだと思う一方で、なんと似ているんだと思うなど、いくつもの気づきをもらいましたし、異民族と暮らした経験は、私の血肉になっていますから。

薪のはぜる音、あぶられた肉の匂い。木々の木漏れ日…。読み手もその場にいるような錯覚を覚えます。

 読み手がそこで暮らせるように書くことをすごく大切にしています。高校生の時に、カーネギー賞を取った英国の児童文学作家ルーシー・M・ボストン夫人の自宅に伺ったことがあります。彼女の代表作は、少年が大おばあさんの家で何世紀も前の子どもたちに出会うタイムファンタジーなのですが、彼女はその家に実際に住んでいると後書きにあって。実際に伺ってみると、暮らしておられる古い家のあちこちに長い人の営みの痕跡があり、私が、彼女の物語に生活の手触りがあると感じたのは、彼女が「人の暮らし」とはどういうことかをよく知っていたからだと思いました。どこを書き、書かないか、多くの言葉を尽くさなくても人に伝わる「ツボ」があるんです。それを分かる人が、才能のある人なのだとその時、思いました。

 私の場合、世界そのものが印象的な光景になって浮かんでくるんです。そういう光景が浮かぶと次から次へとつながっていって、物語ができていくんです。例えば「獣の奏者」は、車を運転していた時、突然、頭の中に夜の崖の上に立っている女性が見えた。崖の下に川が流れる峡谷。下からの風で、縁に立つ背の高い女性の髪の毛が吹き上がる。その女性はうつむいてたて琴を弾いているんです。何をしているんだろうと思っていると、向こう側に目がいっぱい見えた。ここから見て目があんなに大きく見えるということは、そこにすごく巨大な獣がいる。「あ、この女性はこの獣を眠らせようとしているんだ」。その印象がパッと突然やってきました。

 そのまま数年たったある時、ファミリーレストランで養蜂家の本を読んでいたんです。「ハチミツは花の蜜だと思っていたけど、考えてみればハチの体液と混じっているのかしら」と思ったとき、ふと、ハチを見ながら、ハチミツについて考えている女の子の姿が見えてきて、その瞬間、唐突に「あ、この女の子が、あの崖の上に立っていた女性になるのだ」と思った。ハチという人間とは違うタイプの群れ社会をつくる生き物のことや、他者との関わり方などが、一度に頭の中に浮かんで、みるみるうちに物語の印象が出来上がっていったのです。

ファンタジーだと思うのに、現実世界と重なることがあります。

 自分が書いた物語がファンタジーかどうか、私にはあまり興味がないのです。「今、ここ」を描いていないだけであって、それを皆さんがファンタジーと言うなら、そうなのかな、と思いますが、物語が生まれてくるときは、純粋に、生まれてくるままに書いているだけなのです。

 「今、ここ」でないものを描いていて、それが、現実世界と重なると感じていただけるなら、うれしいですね。わかりづらい表現で恐縮ですが、普段気づいていない、世界の根っこのようなものにつながっていると、そういうことが起きるのだと思うので。

 物語を読むということは、自分が生きている世界の外に出る、貴重な瞬間だと思います。丸ごと別の世界で生き直してみると、問題ってこういう時に起きるのか、社会って実はこういうものなのか、タブーが生じるのはこういう時なのか、そういうことが虚心坦懐(たんかい)に経験できる気がするのです。

 人は、本を読むだけで空も飛べます。巨大な獣に乗って空を飛びたいんです、私。短槍(たんそう)使いの用心棒として旅をしてみたい。そんなことができるのは物語以外、他にない。私が書く物語を読んで、そんな経験をしていただけたら、幸せです。

うえはし・なほこ

 1962年、東京都生まれ。立教大卒業、同大大学院博士課程単位取得。オーストラリアの先住民アボリジニについて研究している。現在、川村学園女子大特任教授。大学院で文化人類学を学んでいた89年、出版社に持ち込んだ『精霊の木』で作家デビュー。これまでに、アニメ化やドラマ化された『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、『獣の奏者』などの代表作がある。2014年には「児童文学のノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞の作家賞を、日本人としてはまど・みちおさん以来20年ぶりに受賞。15年には、謎の病に立ち向かう医師らの闘いを描いた『鹿の王』が、第12回本屋大賞と第4回日本医療小説大賞に輝いた。

インタビューを終えて

「文化人類学」という言葉を知ったのは、上橋菜穂子さんの本のプロフィルからだった。

時に葛藤しながら己が信じる道を歩む登場人物たち。道が交わらない人も受け入れつつ一つの世界が形づくられる-。そんな物語の紡ぎ手が学ぶ文化人類学って何だろうと、私自身も大学院で専攻した。

「文化人類学って私たちが常識に思っていた世界から外に出るのを大切にする学問でしょ」と上橋さん。私たちは「かくあるべきだ」と意識的に、または無意識のうちに、自分の物差しで事象を捉えてしまいがちだ。常識の枠から一歩抜け出して見回すことは、他者を尊重する姿勢にきっと、つながっている。