娘がポツリ「いいなあ、パーティションが透明で」 小学校の窮屈な給食、これでいいの?
「いいなあ、1年生は」
小学2年生(8つ)の娘とお風呂に入っていたときのこと。娘が赤いほっぺたを膨らませて言いました。「どうしたの?」と聞くと、「あのね、パーティションが透明なの」。
パーティションとは、コロナ禍で見ない日がなくなった、例のついたてです。職場や飲食店などでは当たり前となった、例のあれです。私が思い浮かべるパーティションは当然透明で、向こう側にいる人が見えるものです。ところが娘が毎日、給食の時間に使っているパーティションは透明ではないのだ、とその時初めて知りました。よく聞くと、クリーム色で、もちろんその向こうは全く見えません。二つ折りタイプで机の上に立てると前と右側に壁が立ちはだかります。その壁を見つめながら、ひたすら黙って食べているというのです。
入学当初、「先生のマスクを取ったお顔、見たことないの」と言っていたのを思い出しました。私が「給食食べるときくらい、先生もマスク外すでしょ。その時にお顔見てみたら?」と話すと、娘が「だって見えないの」と答えたことも覚えています。その時は意味がよくわからなかったのですが、なるほど…そりゃ見えませんね。クリーム色の壁から顔を出して前を見たとしても、お友達のクリーム色の壁がまた立ちはだかって、教室の前の方は全く見えそうにありません。
この間、授業参観の代わりに授業や給食時間の様子を動画でまとめたものが保護者に配信されたのですが、娘の言っていたとおり、みんなクリーム色のパーティションを立てて黙々と食べています。たまにうれしそうに顔をのぞかせる子どもがいると、先生に注意されて引っ込めている様子がみてとれました。
話は冒頭に戻りますが、娘が言うには、1年生のパーティションは透明だそうで、それがうらやましいというのです。それは当然だ、と思いました。「もしかしたら2年生も交換してもらえるかもしれないよ」と励まし、「そうだね」と笑っていましたが、結局クリーム色のまま2年生も終えることになりました。
クリーム色と透明無色、ささやかなことのように見えて、子どもには大事です。そこに短時間での黙食です。外に出れば、大人たちは対策をしたうえで、外食も楽しんでいます。なぜ子どもたちは、いつまでもこんな状況を強いられているのか。ワイワイみんなで食べる給食を知らない娘の世代ですら、ストレスがたまっています。もうちょっと何とかならない?と思うのは私だけでしょうか。
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