作家 柚木麻子さん 名もなき専業主婦だった祖母が私たちにまいてくれた種

(2023年6月18日付 東京新聞朝刊)

祖母との思い出を話す柚木麻子さん(坂本亜由理撮影)

祖母が作ったピンクの着物を成人式で

 8年前に90代後半で亡くなった母方の祖母は、祖父よりも自分が年上の「年の差婚」を猛反対され、駆け落ち同然に家を出て結婚生活を始めました。それなりのお金持ちだった祖母の実家は、年下で後ろ盾のない祖父との結婚が許せなかったようです。

 神経質でピリピリした人だったし、貧しかったからこそ、母には教育を受けさせたいとプレッシャーも強かったようで、母にとっては付き合いにくい面があったようです。でも、面白いもので1つ世代を置いた私は大好きで、よく遊びに行きました。

 いつも身ぎれいで部屋の片付けも完璧。家計のやりくりも上手。食器やインテリアはクラシカルな趣味でホテルのようでした。一方、母は美大を出てアバンギャルドだったので趣味が全然違う。祖母が母のために作った着物は、母が絶対着ないようなピンクだったり…。私は「レトロクラシックでかわいい」と思い、成人式や卒業式で着たら、祖母は喜んでいました。

作家デビューを一番喜んでくれた

 祖母は、林芙美子の「放浪記」が大好きで、林芙美子に会いに行きサインをもらったという話を何度も何度もしていました。「林さんから本をいっぱいお読みなさい、と言われてうれしかったのよ」と。放浪記って、けなげで貧乏に負けない!という森光子さんの舞台のイメージが強かったのですが、あらためて読み返すとセクハラに怒ったり、男性から好かれても好きになれないと言ったり。当時は女性が表だって言わないようなことを言って反骨精神がある。若い女の子にとってのインフルエンサーですよね。この作品を好きだった祖母は、案外保守的ではなかったのかも、と祖母のお堅いイメージも塗り替えられました。私の作家デビューも祖母が一番喜んでくれました。

 身寄りがなく貧しい青年だった祖父が企業で役職を得るまでになったのは、祖母の力が大きかったと思う。正直、祖母の方が頭が良かったと思うし、時代が違えば経営者とかになっていた気がします。自分の力を発揮したくてもできなかったから、子どもの教育に異様に厳しかったり、夫の身の回りのことを取り仕切ったり、自分が作った着物は絶対娘に着てもらいたい…みたいになっちゃったんじゃないか。最近そんなふうに感じるようになりました。

 自分の家族ばかりに一生懸命になるって、今の感覚では「ちょっと嫌だな」とも感じますが、それはどんな時代に生きたかということでその人のせいじゃない。祖母と同じように、名もなき専業主婦として人生を終えていった女性たちが私たちにまいてくれた種は絶対にある。祖母にもう会えないと思うと寂しいけれど、クラシカルな銀食器やレースなんかを見ると、自分の中に祖母が招喚されるような気がしています。

柚木麻子(ゆずき・あさこ)

 1981年、東京都出身。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール読物新人賞を受賞。10年に「終点のあの子」でデビュー。15年「ナイルパーチの女子会」で山本周五郎賞。「本屋さんのダイアナ」「らんたん」など著書多数。最新作「オール・ノット」は、簡単ではない女性同士の連帯とその意味を問いかける作品。