漫画家 細川貂々さん ツレのうつで変わった人生 「もう治らなくていいよ」と伝えたら

海老名徳馬 (2023年5月28日付 東京新聞朝刊)
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夫のうつや子育て期について語る漫画家 細川貂々さん(海老名徳馬撮影)

カット・家族のこと話そう

「私が頑張らなければ」をやめた

 IT企業に勤めていたツレ(夫)が2004年にうつになって、人生がまるっきり変わりました。病気はもちろんつらかったけれど、お互いを思いやる経験をすごくして、相手がどんな状況か見られるようになりました。あの経験がなければ二人とも自己中心的なままだったと思います。

 ツレが倒れて会社を辞めた時、「私が頑張らなければ」と思いました。この病気は調子が上がったり下がったりを繰り返すので、1年ぐらいすると、私がそれに付き合っても意味がないと思い始めたんです。「倒れたせいで頑張らせてしまっている」とツレが自分を追い詰める原因になっていたので、その後は頑張るのをやめました。

 うつ病の薬を飲んでいると子どもができにくいと聞いていたので、このまま2人で一生暮らせばいいじゃん、と切り替えた。自分が仕事をして、それなりにやっていけると思ったので。「もう治らなくていいよ」と伝えたことで、ツレは楽になったそうです。その後病気が良くなって、いつの間にか薬を飲まなくてもよくなりました。

ツレはゲーム、私は仕事でもOK?

 3年間の闘病でツレはだいぶ変わりました。以前は「夜に寝る時以外に横になるのは絶対にだめ」という感じで、人にも厳しかった。いまは全体的に穏やか。体調に合わせて、いつでもだらだら寝られるようになりました。

 私もツレの病気を通じて「人にはそれぞれ都合や事情がある」ということを学びました。ツレがゲームで遊んでいると「私は仕事しているのに」と思うんですが「今は事情があってゲームをしている。楽しんでいるんだからいいか」と思うようにしています。

 病気が良くなって仕事をどうするか、ツレは悩んでいましたが、最近は「やりたいことだけやればいい」と吹っ切れた。私の仕事を手伝う会社をつくって、代表取締役として経理を担当して。あとは結婚13年目の2008年に生まれた長男の子育てですね。

息子が幼い頃、子育ては全部夫が

 出産は私の仕事がやっとうまくいきだした時期。連載が11本あった。ツレは「子どものことは僕が全部やるから、仕事をしなさい」と言ってくれた。息子が幼い頃、私は育児はしていません。おむつ替えも、ベビーカーでの外出も、幼稚園の送り迎えもパパ。たまに私が抱くと泣いて「パパがいい」と蹴られて、寂しかったですね。

 だから息子はツレと仲良しで、いろいろ意見も聞いているみたい。「母は偏っていて訳が分からないモンスターみたい」だけど「パパはちゃんとしている」って。

 私が子育てで少し株を上げたのは、小4から3年間PTAの役員をしたこと。息子のクラスが学級崩壊していて、どうなっているか確かめようと立候補しました。学校で「お母さんが熱心」と言われるようになって、息子は「母も割と頼れる」と思ってくれたんじゃないかな。

細川貂々(ほそかわ・てんてん)

 1969年、埼玉県行田市生まれ。1996年に漫画家としてデビュー。うつ病を患った夫の闘病を描いた「ツレがうつになりまして。」や、息子の中学受験を描いた「なぜか突然、中学受験。」など著書多数。初の絵本「こころってなんだろう」(講談社)を今年2月に刊行した。

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