バイオリニスト 石田泰尚さん 寡黙な男3人に光をともし続けた母 親孝行できたかな
料理も洋裁も得意 衣装はいつも手作り
母は明るくフレンドリーな性格でした。詳しく聞いたことがないのですが、母は浜松市出身で、広告代理店勤務だった父(83)との結婚か何かをきっかけに川崎市に移り住んだようです。友達がとても多かったのが印象的です。
料理の腕前も素晴らしく、特にショウガ焼きやギョーザなどはおいしかった。服飾系の学校を出ていたこともあり洋裁が得意で、僕が子どものころ、バイオリン発表会の舞台衣装はいつも母の手作り。大人になってからも、背中にバラの刺しゅうが入ったシャツなど凝ったものを作ってくれて、今でもたまに着て演奏します。
僕にバイオリンを習わせたのも、母の思いつきだったのでしょう。3歳だった僕が、テレビから流れてくる音楽に合わせて手をたたく様子を見て、「音楽をやらせたらいいんじゃないか」と、近所のバイオリン教室に連れていったそうです。
母は、音楽家の家系でもなく、素養もなかったはずですが、僕の練習に付き添って、「今のは違う」などとダメ出ししていましたね。僕も母にほめられたくて練習を続けていました。
一番の「追っかけ」 亡くなる3日前も…
にぎやかな母は家庭に光をともす存在でした。父は秋田市出身の寡黙なタイプ。4歳上の兄は全寮制の中高一貫校に進学したこともあって少しよそよそしく、いつからか互いに敬語で話す間柄でした。家では母が一人でずっとしゃべっていたので、僕たちに「とりあえず何か会話しなさい」と、よく言ったものです。
そんな母が3年前、心不全で76歳で亡くなり、わが家は喪失感に包まれました。後から知ったのですが、もともと心臓が弱かったらしいです。僕は知らなくて、まさか亡くなるとは思わず…。もっと生きてほしかったです。
つらい中でも良かったことは、母が亡くなる2~3カ月前、兄が結婚を報告したことです。兄は大学卒業後から勤めていた会社を数年前にやめ、神奈川県の丹沢の山小屋で働いています。子どものころから山が好きだったみたいですが、母はとても心配していました。僕は独身ですが、兄が山小屋で知り合ったという結婚相手の方とも一緒に食事ができて、母は本当に喜んでいました。
母は僕の演奏会に必ず駆けつける一番の「追っかけ」でした。最後は亡くなる3日前の名古屋公演でした。体調が相当悪い中、「多分これが最後」と、無理して来てくれたのだと思います。生前、僕がコンサートマスターとして弾いている姿が一番好きだと言っていました。今は父が公演に駆けつけてくれています。親孝行になっているといいですね。
石田泰尚(いしだ・やすなお)
1973年、川崎市出身。神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席ソロ・コンサートマスター、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターを兼任。4月9日より硬派弦楽アンサンブル「石田組」の全国ツアー開始。4月26日にはハクジュホール(東京)で、弦楽四重奏団「YAMATO String Quartet」の公演も開く。
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