バイオリニスト 石田泰尚さん 寡黙な男3人に光をともし続けた母 親孝行できたかな

(2022年3月13日付 東京新聞朝刊)
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母親との思い出について話すバイオリニストの石田泰尚さん=東京都港区で(伊藤遼撮影)

家族のこと話そう

料理も洋裁も得意 衣装はいつも手作り

 母は明るくフレンドリーな性格でした。詳しく聞いたことがないのですが、母は浜松市出身で、広告代理店勤務だった父(83)との結婚か何かをきっかけに川崎市に移り住んだようです。友達がとても多かったのが印象的です。

 料理の腕前も素晴らしく、特にショウガ焼きやギョーザなどはおいしかった。服飾系の学校を出ていたこともあり洋裁が得意で、僕が子どものころ、バイオリン発表会の舞台衣装はいつも母の手作り。大人になってからも、背中にバラの刺しゅうが入ったシャツなど凝ったものを作ってくれて、今でもたまに着て演奏します。

 僕にバイオリンを習わせたのも、母の思いつきだったのでしょう。3歳だった僕が、テレビから流れてくる音楽に合わせて手をたたく様子を見て、「音楽をやらせたらいいんじゃないか」と、近所のバイオリン教室に連れていったそうです。

 母は、音楽家の家系でもなく、素養もなかったはずですが、僕の練習に付き添って、「今のは違う」などとダメ出ししていましたね。僕も母にほめられたくて練習を続けていました。

一番の「追っかけ」 亡くなる3日前も…

 にぎやかな母は家庭に光をともす存在でした。父は秋田市出身の寡黙なタイプ。4歳上の兄は全寮制の中高一貫校に進学したこともあって少しよそよそしく、いつからか互いに敬語で話す間柄でした。家では母が一人でずっとしゃべっていたので、僕たちに「とりあえず何か会話しなさい」と、よく言ったものです。

 そんな母が3年前、心不全で76歳で亡くなり、わが家は喪失感に包まれました。後から知ったのですが、もともと心臓が弱かったらしいです。僕は知らなくて、まさか亡くなるとは思わず…。もっと生きてほしかったです。

 つらい中でも良かったことは、母が亡くなる2~3カ月前、兄が結婚を報告したことです。兄は大学卒業後から勤めていた会社を数年前にやめ、神奈川県の丹沢の山小屋で働いています。子どものころから山が好きだったみたいですが、母はとても心配していました。僕は独身ですが、兄が山小屋で知り合ったという結婚相手の方とも一緒に食事ができて、母は本当に喜んでいました。

 母は僕の演奏会に必ず駆けつける一番の「追っかけ」でした。最後は亡くなる3日前の名古屋公演でした。体調が相当悪い中、「多分これが最後」と、無理して来てくれたのだと思います。生前、僕がコンサートマスターとして弾いている姿が一番好きだと言っていました。今は父が公演に駆けつけてくれています。親孝行になっているといいですね。

石田泰尚(いしだ・やすなお)

 1973年、川崎市出身。神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席ソロ・コンサートマスター、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターを兼任。4月9日より硬派弦楽アンサンブル「石田組」の全国ツアー開始。4月26日にはハクジュホール(東京)で、弦楽四重奏団「YAMATO String Quartet」の公演も開く。

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すくすくボイス

  • ANIMO says:

    前に、石田さんのヴァイオリン協奏曲を聴いて、あまりの素晴らしさにしばらく立ち上がれませんでした。これからもコンサート楽しみにしています!

    ANIMO 男性 30代
  • 匿名 says:

    音大時代は石田さんの見た目ですごく苦手意識があったのですが(失礼)、音源を聴いて目から(耳から?)ウロコでした。
    ギャップを狙ってわざと…?と思うような音でしたが、この記事を読んで少し納得しました。いつか生で演奏をお聴きしたいです。

     女性 30代
  • 淡々 says:

    石田さんの演奏に最初に触れたには、今はなくなってしまった万有製薬の目黒不動の近くにあった倉庫での無料コンサートでYamato四重奏団での演奏でした。何も知らずに出掛けたコンサート余りの素晴らしい演奏、その純度、に感銘を受けました。昨今のご活躍、私の耳もまんざらではなかったと、あの倉庫のコンサートを思い起こして居ます。

    淡々 男性 60代
  • 匿名 says:

    秋田に親戚が居る⁉️
    驚きです〜私の旧姓も石田
    コンサート楽しみです🎶

     女性 60代
  • ケーチャン says:

    きょうは待ちに待った石田組の秋田公演です。組長のお父様が秋田出身に驚きです。これからもずっとファンでいます。

    ケーチャン 女性 70代以上
  • ピンキリ says:

    家族のお話、誰にも楽しい思い出と少しばかりの悲しみとを抱えて、ふと思い出す。両親、兄弟のいた子供時代は誰にとっても宝物のような秘密の小箱。特に両親は親になってみて初めてその複雑さ!がよーくわかりました。ますますのご活躍をお祈りします。

    ピンキリ 女性 60代
  • 匿名 says:

    何か、娑婆世界のしがらみを捨ててヴァイオリンの道を突き進む孤高の天才的な雰囲気がありますが
    人の子だと知って、少しほっとしましたw

     男性 無回答
  • たかぎだ2 says:

    とても興味深く拝見しました。とても心温まるものです。
    私が初めて石田さんを聴いたのは、石田さんが国立音大を卒業されて、新星日本交響楽団に入団された年の最初の4月定期です。私はこの4月に偶然にも日曜定期会員になりました。この時の公演を思い出すに、この時のコンサートマスターは佐藤さんと山中さん、第二ヴァイオリン首席としてアシスタントコンサートマスターの石田さんが座っていたと思います。指揮は沼尻さんでした。沼尻さんの後姿は今と同じでした。その時の曲目ですが、記憶を辿ると・・・間違っていたら申し訳ありませんが、1曲目を忘れましたが、前半2曲目がリヒャルトシュトラウスのブルレスケ(羽田健太郎さんのピアノ)、後半がバルトークのオケコンだったと思います。
    新星日本がなくなり、石田さんが神奈川フィルに移られた後は、10年以上は聞いていませんでしたが、神奈川県内を巡回されている事が分かり、再び石田さんリサイタルと石田組にも足を運ぶようになりました。昨年2021年に沼尻さんが神奈川フィルの音楽監督に就任される事を知り、定期会員になりました。沼尻さん・石田さんコンビの神奈川フィルに通う様になるとは感慨深いものがあります。今後も楽しみにしています。

    たかぎだ2 男性
  • やすママ says:

    いつもコンサートで思っていたことがあります。
    美しいヴァイオリンの音色が時に愛らしくて優しいので、外見とのギャップが凄いと。ステージ上でも観客を楽しませてくださる真のエンターテイナーだと。素晴らしいご両親から受け継いでいらっしゃるのだとよくわかりました。
    とても感動しました。ステキなお話をありがとうございました。

    やすママ 女性 無回答
  • 匿名 says:

    演奏は勿論のこと独特のファションセンスも大好きです。お母様が浜松出身とのことですが浜松は楽器の街です。私も母の勧めで幼少時代バイオリンを習ってましたが途中で辞めてしまいました。しかし、60過ぎてまた始めました。音楽は人生に不可欠です。これからも行ける限り石田さんのコンサートに行きたいです。そのためにパートも頑張れるのです。

     女性 60代
  • yk_u says:

    心に沁みるお話でした。いいご家族の中で育ったのですね。其々にバランスを保って家族を支えているのだと思いました。
    お母さんのようにコンサートに駆けつけてくれるお父さんにもじーんと来ました。
    実はうちの両親も浜松出身で仕事のために東京に出てきたようです。私たち子供たちは川崎で育ち、今も川崎に住んでいるので、一層親近感を抱いています。
    これからも益々のご活躍を!

    yk_u 女性 60代

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