THE ALFEE 坂崎幸之助さん エッセイストで自由人の叔父・重盛さんに憧れて「自分も好きなことを」

植木創太 (2022年4月3日付 東京新聞朝刊)

THE ALFEEの坂崎幸之助さん(プロジェクトスリー提供)

たくさんの楽器 親戚が集えば自然に合奏

 東京・墨田にある酒屋の次男として生まれました。父は7人きょうだいの長男。祖父は早くに亡くなっていましたが、祖母と両親、兄、叔父・叔母と大家族で育ちました。

 フルートやクラリネット、木琴、オカリナ、大正琴、ウクレレ、三味線など、家にはいろんな楽器がありました。新年会など他の親戚も来て、みんなが集まると自然と合奏が始まり、どんちゃん騒ぎ。大体、戦時中のヒット曲「鈴懸の径(すずかけのみち)」の繰り返し。使う楽器は和洋折衷で次々とアレンジもされていく。明るく息ぴったりな家族です。

イラスト、ジャズ、詩…自由気ままな叔父

 叔父・叔母の中で最も影響を受けたのが、長く同居した1番年下の叔父、エッセイストの坂崎重盛さんです。12歳差なので叔父というより良い兄貴。お互い末っ子なので気が合いました。昔から服や持ち物のセンスが良くて、自分でデザインしたコートを着ていることもありました。音楽的にはフルートをやっていて、ジャズに造詣が深い。重盛さんの部屋からは、いつもおしゃれな音楽が聞こえてきた。それが格好良くて、憧れでした。

 重盛さんは千葉大に進んで造園を学び、卒業後は横浜市職員になりました。児童公園を一つ造ったそうです。上から3番目の叔父が東大卒で横浜市の水道局長までやった人。その背中を追っての就職だったそうですが、重盛さんはそんなこともお構いなしに、「向いてないな」と言って1年で辞め、イラストレーターで文筆家でもある河原淳さんに弟子入りしました。その後はイラストを描いたり、ジャズの論評をしたり、詩を書いたりと自由気まま。祖母はいつもあきれていましたが、そのアウトローさに「自分もあんなふうに好きなことをやりたい」と思いました。

多趣味になったのも、粋な叔父の影響です

 重盛さんは最近、東京の街並みや飲み歩きに関するエッセーをよく書いています。物書きとしての表現も本当に粋な人。私たちは、よく下町と言われる墨田で育ちましたが、昔、2人で「下町って憧れるよな」と話したことがあります。うまく言えないんですが、重盛さんも私も神田や日本橋が江戸時代からの下町で、墨田はちょっと毛色が違うと思っているんです。だから、もっと知りたい。それが原動力なのかもしれません。

 今も思い出深いのは、重盛さんが就職を機に実家を出て、一人暮らしを始めた横浜の部屋を初めて訪ねた時のこと。当時、私は小学生でしたが、おしゃれな小物やアンティークが部屋のそこら中にあり、センスの良さが際立っていました。和ガラスにカメラに、爬虫類・両生類にと、私が今、多くの趣味を楽しめているのは、あの光景のおかげだと思っています。

坂崎幸之助(さかざき・こうのすけ)

 本名・坂崎幸二。1954年、東京都生まれ。明治学院大在学中の1973年、高見沢俊彦、桜井賢らとロックバンド「THE ALFEE」を結成し、翌年にデビュー。2月に2年8カ月ぶりとなる新アルバム「天地創造」をリリースした。現在、全国を巡るライブツアーを開催している。

コメント

  • 下町の酒屋さん、賑やかな坂崎家、あの人当たりの良い幸ちゃんのルーツがそこにあったのですね。環境って大事なんだと改めて感じました。いくつになっても人懐っこい幸ちゃんが大好き💕です。まだまだついて行きます
    横須賀のくまモン 女性 50代 
  • THE ALFEEのファンです。坂崎さんのファミリーヒストリー的なことが少し知ることが出来ました。 動画サイトで重盛叔父さまの事は拝見いたしておりました。様々な音楽と多彩な趣味 ご家族が音楽が好き。
    yuuko 女性 50代