フルート奏者 山形由美さん 勉強や進路、何も言わなかった学者の父 仕事への姿勢を学んだ

草間俊介 (2020年3月1日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

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(佐藤哲也撮影)

最期に、名前を呼んでくれた

 父で英文学者だった和美(かずみ)は昨年5月、85歳で亡くなりました。その前から何度か危篤になっていて、4月の欧州ツアーに行くか行くまいか迷いました。しかし、「父が私に黙って逝くはずはない」と信じて、出かけました。

 欧州滞在中、気が気でありませんでしたが、ツアーをこなし、臨終の病床に間に合いました。父は手を握って、私の名前を呼んでくれました。

 父は英文学、比較文学などをいくつかの大学で教え、最後は筑波大名誉教授という肩書でした。結果だけでなく、がんばった過程も評価していたので、ゼミの学生に慕われ、家には教え子たちがよく遊びに来ていました。

大学生になっても門限は7時

 母の幸子はピアノなどの才能がありましたが、父のサポートに徹し、一番の理解者でした。父は生涯に何十冊という著書を残しました。それらの業績は母がいたからこそです。

 会話の多い一家でした。父は午後7時から夕食と決めていて、弟を含む家族4人での夕食はわが家の決まり事でした。私、大学生になっても門限7時だったのですよ。

 食卓で会話も弾みました。テレビで欧州のニュースが流れると、旅行や出張で何度も訪れた父は「あそこは、こんな文化や料理があって…」と解説します。後年、行ってみたら、本当にそうでした。

 父は書斎にこもり、研究ばかり。私や弟の勉強や進路などは何も言いません。ただ子どもの時、「古典を読めよ」と繰り返し、シェークスピアの物語など児童向けの本をたくさん買ってくれました。

小さなコンサートも全力で

 フルートとの運命の出合いは中学2年。親類の音楽関係者の結婚披露宴で演奏があったのです。フルートの奥深さや素晴らしさに魅了され、その場で奏者に弟子入りを志願し、認められました。

 私が大学卒業の頃、父は1年間、英ケンブリッジ大に赴くことになりました。父は母がいないとだめなので「母を連れていく」と宣言。私も一緒に留学しました。英国ではフルートの個人レッスンを受けながら、両親とフランスやイタリアなどを旅しました。いろいろな文化に触れられ、大きな財産になりました。父母との楽しい思い出です。

 私が父から学んだのは仕事に対する姿勢、プロ意識の高さでしょうか。父は1冊の本を著すにも、徹底的に調べるなど全力を尽くしました。そのような父を見てきて、私も分野こそ違え、小さなコンサートであっても全力を尽くすことを心掛けています。父の一番の教えです。

山形由美(やまがた・ゆみ)

1962年東京都生まれ。東京芸大音楽学部卒。幼少期からピアノ、バレエなどを習う。1986年にCDデビュー。テレビのバラエティー番組などにも多数出演。5月30日にトッパンホール(東京都文京区)で開かれるコンサートに出演予定。詳細は後日、本人の公式ホームページで。

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