研ナオコさん 娘が「歌手になりたい」…初めてわかった、あの時の母の気持ち

草間俊介 (2021年2月7日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる

 

家族のこと話そう

写真

(五十嵐文人撮影)

高1でオーディション合格も、大反対

 静岡県の伊豆の兼業農家に生まれました。父はトラック運転手、母は私を含めて3人の子を育てながら、農業を続け、家を守っていました。子どものころから歌手にあこがれていました。歌手になって両親に楽をさせたいという気持ちもありました。高校1年の時、レコード会社のオーディションに合格。「夢に近づいた」と高校を中退し上京しました。

 母は「歌手なんて」と大反対。娘は私一人だったので、そばにいてほしかったようです。母には東京は怖い所、芸能界はまったく分からない世界です。心配するのは当たり前だったのでしょう。

 父は賛成と言わなかったものの、オーディションの際は何回か東京まで連れて行ってくれるなど、応援してくれました。合格からほぼ1年でデビューを果たしました。

娘のデビュー 自分のことより緊張

 それから半世紀。結婚して息子と娘に恵まれました。息子は留学先の米国で今も暮らします。娘のひとみは歌手。母娘で共演も行い、「ひーちゃん」「かあちゃん」と呼び合っています。

 娘が高校生のころ「(かあちゃんのような)歌手になりたい」と言い出し、内心うれしかったです。私はやりたいことをやってきたので、「好きなことをやりなさい」と。一方で、やはり芸能界は難しい。心配になりました。

 そこで初めて母のことに気づきました。私が上京する時、どんな気持ちだったか。子を持って知る親の恩といいますが、まったくその通りです。

 娘は最初は勉強のため、私のバックコーラスに。後ろに娘がいると思うと心強かったですね。歌手デビューした娘の歌うところを見ると、自分のことよりも緊張しました。

「私、どうだった?」と聞かれたら

 両親が私のステージを初めて見たのは1976年、初出場のNHK紅白歌合戦でした。後で「見ていて緊張した」と言っていましたが、私も娘を見て同じでした。でも「腹が据わり、度胸がある。この子、才能があるのかも」と思うこともあります。

 娘から「私のステージはどうだった?」と聞かれても、「安心して。がんばろう」とだけ。細かいことは言いません。というのも、私は共演者、楽曲の提供者など先輩や仕事仲間に恵まれ、彼らを見て歌やトーク、間の取り方を学んだからです。「支えてくれる人がいるから、今の自分がある」を忘れないようにしてきました。そうしたことを子どもに口で言ったことはありません。娘は「見て学ぶ」をわかっていますから。

 母娘共演の舞台が決まっていますが、コロナ禍で、都内の公演など日程が確定できません。今は苦しいときです。周りの人たちを考えながら、皆で支え合っていきたいですね。

けん・なおこ

 1953年、静岡県天城湯ケ島町(現・伊豆市)生まれ。1971年「大都会のやさぐれ女」でデビュー。「かもめはかもめ」「夏をあきらめて」などヒット曲多数。4月14日、浜松市での梅沢富美男劇団の公演に母娘で出演予定。2人の活動の詳細は公式サイト「ケンズファミリー」で紹介している。

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