女優・作家・歌手 中江有里さん 15歳で単身上京 精神的に追い詰められた私のために、母は…

佐橋大 (2020年12月21日付 東京新聞朝刊)

家族のこと話そう

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中江有里さん(オフィスクレヨン提供)

働いている姿、いつも輝いていた

 8月に母を亡くしました。私が小学生の頃、両親が離婚。以来、母は飲食店を営みながら、住んでいた集合住宅の1階のうどん屋さんでパートもしていました。私と妹はいつも、そこで夕飯を食べていました。

 働いている母の姿は、家にいる時より、ずっと輝いていました。母がいない間は、私が家事をしないといけません。寂しい、理不尽だと思うこともありましたが、母を見ていると、そんな不満も打ち消されてしまいました。とにかく母は働くことが好きだったのだと思います。

 普段は子どもをほったらかしでしたが、困ったときには絶対助けてくれました。私が芸能活動のため15歳から1人で上京し、精神的に追い詰められた時に電話をしたら、すぐ店を閉めて、そのままの格好で大阪から飛んできました。来てくれただけでうれしかった。普段あれこれ言わないのも、私を信じてくれているからなんだろうなと感じ、母を裏切ってはいけないと思いましたね。

27年ぶりに歌手再開 親孝行かな

 母ががんだと分かったのは昨年の夏。その直後、作詞家の松井五郎さんとのトークイベントで私が歌を歌ったことを話すと、母は「また歌ってほしい」と言いました。私が歌うことが励みになる。病気で仕事を辞めた母の代わりに精いっぱい動くことが、私にできる親孝行かなとも思いました。体力面などで迷いもありましたが、27年ぶりに歌手活動を再開することを決め、今年2月に東京で初めてのライブを開きました。

 今年の正月に実家で会った時、母は足元もおぼつかなくて調子が悪かった。でも、ライブに来た時はすごく元気で、「歌を聴いて元気になった」と喜んでいました。うれしかったですね。

亡くなる前日も、子どものことを

 その後はコロナ禍で2カ月間、帰省できず、もどかしかったです。母に残された時間は短いことが分かっていたので。緊急事態宣言が明けてからは頻繁に会いに行きました。亡くなる前日も実家で会いました。母は意識ももうろうとしていましたが、私が帰り際に大きな声で「また来るよ」と言うと、「気を付けて」と答えてくれました。子どものことを気にする姿勢は、最期まで貫いていました。

 母の他界後の10月から配信を始めた新曲「いつも」は、松井五郎さんが「母親をテーマにした歌を歌ってみませんか」と提案し、作詞してくれました。私は初めてこの歌を聴いた時、幼い頃に母に寝かしつけてもらった瞬間に、「この人に守られているんだな」という心地よさに包まれたことを思い出しました。この歌を歌えることに、ご縁の巡り合わせを感じます。

中江有里(なかえ・ゆり)

1973年、大阪府生まれ。1989年に芸能界デビューし、多くのテレビドラマ、映画に出演。2002年から脚本家、文筆家としても活躍。近著に「残りものには、過去がある」(新潮社)「トランスファー」(中央公論新社)。来年1月27日にアルバム「Port de Voix(ポール・ド・ヴォア)」を発売。

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