俳優 片桐はいりさん 母に「1人で生きていけよ」と言われて育ち、父の「笑わせたい性分」を受け継いだ
父の最期 きっと頭の中で大宴会が
父と母を既に見送っています。どちらも平均寿命前でそんなに長生きじゃなかった。
父は5年くらいがんで闘病して亡くなりました。何回も危篤みたいな状況になって、私は舞台の途中で飛んで帰ることがありました。弟が帰国に24時間以上かかるグアテマラに住んでいて病院に着くのを待つように亡くなったんですよ。
最後の言葉は「隣の部屋でみんな集まってご飯食べてるから、あんたも早く行きなさい。俺は後から行くから」。宴会とかご飯を食べるのが大好き。人をもてなすのが好きで、父の頭の中では親戚とか父の大好きな人が集まって大宴会が開かれていたんでしょう。中華料理が好きなので、円卓をうわーって回して食べている姿がきっと脳裏に浮かんでた。
父が亡くなった後、1人暮らしになった母はスーパーのエスカレーターで転んで歩けなくなった。私が買い物など身の回りの世話をし、日中連絡がつきやすい弟が、ネット電話で母の話をただ黙って聞くという役割。バランスよく回ってたと思います。
けんかばかりでも、心配してくれた
母と娘はそうなのかもしれないけど、「そんな勝手なことばかり言うならもう来ない!」なんてけんかばかり。でも、あるお正月に「体調崩して行けない。ごめんよ」と電話したら、すごく心配してくれて。翌日「よくなった」と言うと、母は「本当によかった」って喜んだ。弟にまで「お姉ちゃん、かぜひいたけどよくなった」ってわざわざ電話したくらい。その直後、母は入浴中にヒートショックで亡くなりました。
寒い時期の今だから思い出すのですが、お風呂に入って「ああ、気持ちいい」っていう時に亡くなるなんて、すごく幸せとも思える。母はやりたいことをやるっていう人だったから、そんなふうに亡くなったのかなあ。
「自分で食べられるようになりなさい。1人で生きていけよ」って母に言われて育ちました。俳優の道を選んだのはその影響が大きいと思う。父が亡くなった後、昔よく行っていた神戸の中華屋さんで、父が「うちの娘は世の中で一番不細工な女優なんだ」って笑いをとっていたと聞いて、なんだかすごくうれしかった。人を笑わせてもてなしたいという性分は、私と同じ根っこだから。
父らしく、母らしく、「その人が生きてきたように死んだ」と実感します。自分の思う通りに生きて亡くなったという意味。今回の舞台「スプーンフェイス・スタインバーグ」は死ぬことを考える演劇。どんな亡くなり方をするかっていうのは、本当に最後の表現なのかなって気がします。
片桐はいり(かたぎり・はいり)
1963年、東京都出身。大学在学中に当時の銀座文化劇場でチケットのもぎりのアルバイトと同時に俳優活動を開始。1982年に初舞台。NHK連続テレビ小説「あまちゃん」など数多くのテレビドラマ、映画、舞台などで活躍中。2月16日~3月3日、神奈川芸術劇場(横浜市)で上演される舞台「スプーンフェイス・スタインバーグ」に出演する。