「家族と食事できる機会は有限です」 8歳の娘を亡くした“パパ料理研究家” トモショクに懸ける思い
「男の趣味」妻は喜んでいなかった
滝村さんは16年前、優梨香さんの誕生を機に料理を始めました。それまではITの人材育成企業で働き、家で夕飯を食べたことがない「会社人間」。朝昼晩、外食ばかりの毎日だったといいます。ところが、子どもが生まれると、赤ちゃん連れで外食もできません。「家でもおいしいご飯が食べたい」と、会社の同僚に薦められたレシピ本を片手に、初めて作ったのは鯛のカルパッチョ。そのあまりのおいしさに感動し、以来、週末は本を見ながら作り、友人や同僚にも振る舞いました。
しかし、しばらくして滝村さんは妻が喜んでいないことに気づきます。それは、自分の好きなものを作り、片付けもしないままだったから…。大量の洗い物は毎回、妻任せ。「当時は、おいしい料理を作っただけで妻に感謝されると思っていました」
それではダメだと、「男の趣味」の料理ではなく、家族のために作り、後始末までする「パパ料理」を広めるため、10年前に「ビストロパパ」を起業。「パパ料理研究家」として、指導や講演に全国を飛び回るようになりました。
「子手伝い」一緒に楽しんでいた
優梨香さんが3歳くらいになると、パパの料理に関心を示すように。オムライスが好きで、仕上げにケチャップ付けを喜んでやっていました。枝豆の豆をプチプチ押し出す姿も楽しそう。滝村家では、「お手伝い」に満たない「子手伝い(こてつだい)」と名付け、「非効率でも子どもにやらせよう」と一緒に料理を楽しむことをモットーにしました。
ところが、2011年に優梨香さんに病気が判明。1年弱の闘病の末、2012年に8歳で亡くなりました。闘病の最後は食べることもできず、点滴で栄養を取るのみ。「いくら作っても、目の前の娘には食べてもらえない。家族と食事できる機会は有限。食べてもらう相手がいて、一緒に食卓を囲めることがいかに幸せか、娘が教えてくれた」と振り返ります。
トモショクを娘と一緒に広げたい
亡くなった優梨香さんが教えてくれたことが、今も滝村さんの活動を支えています。「パパ料理」のレシピには子どもも関われるよう「子手伝いポイント」を必ず書くようにしています。仕事で使うエプロンには、闘病中、優梨香さんが唯一動いた右手で描いた「ぐるぐる」の渦巻きに目を付けた、かわいらしい絵がデザインされています。
「『将来、パパのお仕事を手伝いたい』と言っていた娘と一緒に、トモショクを広げていきたい」と滝村さん。「家族一緒に食べるご飯は必ずしも手作りのものや凝ったものでなくていい。帰りに皆がお店に集合して外食するのでもいいし、単身赴任中の家族とネットでつながって互いの顔を見ながら食べるのでもいい」とハードルを下げることを提案します。「まずは家族や友人と一緒にご飯を食べるという心掛けから」と呼びかけています。
滝村雅晴(たきむら・まさはる)
1970年、京都府生まれ。川崎市で妻と中学生の次女と暮らす。前職はITの人材育成を手がける「デジタルハリウッド」の広報担当執行役員。2009年に退職し、「ビストロパパ」設立。日本パパ料理協会会長飯士。農林水産省食育推進会議専門委員。大正大学客員教授でもある。
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