絵本作家 間瀬なおかたさん 母だけは味方でした 忘れられないあの日の言葉
学校では「どうしようもない悪ガキ」
昔、とんでもない悪ガキでした。とにかく、じっとしていられない。小学校の先生が黒板に字を書き始めたら、後ろの戸から出て裏山へ遊びに行きました。中学の時は、友人と「ゴム鉄砲」で近所の小学校のガラスを片っ端から割り、ひどく叱られました。
母子家庭の4男でした。上の兄2人は成人し、朝晩工場などで働く母と兄と3人暮らしでした。放課後は、貸本屋さんで晩まで白土三平さんの「カムイ伝」「忍者武芸帳」などの漫画ばかり読みました。兄のいじめを恐れ、母の帰宅まで帰らなかったです。
物語の世界に浸るのが好きでしたね。学校ではどうしようもない悪ガキとして扱われ、家に帰っても父、母はいません。安心できる場所がなく、別の世界へ行ける感じが好きでした。現実から逃避したかったんだと思います。
でも、母だけは味方でした。校長室に2人で呼び出されて一日中叱られた日、帰りに泣きじゃくる私に「あんたは悪い人間じゃない」と言ってくれた。忘れられません。悪いことばかり繰り返し、集団の中では生きていけない、と落胆していました。母の言葉に救われました。
よその人からは少し厳しい印象を持たれる母でしたが、末っ子の私には優しかった。子ども2人を抱え、強くないと生きていけなかったのでしょう。高校の時、とても疲れた足どりで駅から帰る母の姿を見たことがあります。家では見せませんでしたが、とても苦労していたと思います。当時の私は理解できてなかったな、と今にして思います。
常に最初の読者 一番のファンでした
子どもの頃からノートに落書きばかりしていたので、絵は得意で、中学の時に漫画雑誌に載るように。大学を出て、漫画家を目指しましたが、作品は採用されず。ある出版社に勤めた際に、縁あって絵の仕事を受けるようになって独立。35歳で初の絵本を出しました。
なかなか売れず、アルバイトをして苦労しました。けれど、母はいつも、どの作品も数冊買って親戚に配ってくれた。常に最初の読者で一番のファンでした。
初のヒット作は51歳の時の「でんしゃでいこう でんしゃでかえろう」です。電車が山の駅を出て、海の駅へ向かう物語で、ページをめくると真っ暗なトンネルの向こうの景色が広がる本です。
母は亡くなる直前で、90歳を過ぎてほぼ失明していましたが、本に目をこすりつけるくらい近づけて読み、「空に大きな鳥が飛んでいるね」と喜んでくれた。ヒット作を見せられて良かったです。
絵本では、子どもがお父さん、お母さんとお出かけするストーリーが多いですね。現実には厳しい状況の家族がいることも理解していますが、父母がいる幸せで楽しい家庭のイメージは、空想的な憧れの世界。子どもも大人も楽しんで読んでほしいです。
間瀬なおかた(ませ・なおかた)
1950年、愛知県半田市生まれ。尾張高(現・名古屋大谷高)、法政大卒業。会社員を経て、1980年に児童書のイラストレーターに。「でんしゃでいこう でんしゃでかえろう」(2002年)「あめのひのえんそく」(2003年)「ドライブにいこう」(2004年)「バスでおでかけ」(2006年)など。家族は妻と長女。埼玉県所沢市在住。