双子の母「子をあやめるか自殺か迷った」 過酷な多胎児育児、涙の告白 社会の支援が必要です
私だけの苦しみではなかった
都内で双子を育てています。私は双子を授かってから厳しい経験をしてきました。双子の親だからつらかったと言えるのは、ここに集まった1500件を超えるアンケートのうち、多くの回答を読んだからです。これは私だけの苦しみではなかったのだと、確信しました。
双子、三つ子の希少性や神秘性から、「いいな」と軽くあこがれる人は少なくないと思います。私もそうでした。双子を妊娠していると知ったとき、不安はありましたが、とても、とても、うれしかったです。
1歳までの記憶はありません
しかし、生んだ後の過酷さについては知りませんでした。今は軽いあこがれが、多胎児育児の危険性を隠してきた一因だと思っています。また、「年子よりましよ」という励ましは、努力や気合い、根性の背比べとなり、「神様はあなただから双子を授けたのよ」という非科学的な励ましは、すでに限界に達している親の、重圧に苦しむ母親の口をふさいでいます。
思い返しても、1歳になるまでの記憶はありません。なんとか今日を乗り越えて、明日につなぐことだけに懸命でした。1歳からは保育園の支援を受けられましたので、なんとか一週間を乗り切り、土日の綱渡りをして、翌週に控える日々です。
生後半年から10ヶ月の間、私は育児に向いていないなと思い詰め、子をあやめるか、自殺をしようかどちらがよいか迷ってました。
保育園に入れていなかったら
生きているのがつらかった日、私たち家族を救ってくれたのは、保育園の入園通知です。とても幸運なことです。私はさまよっていた暗闇の中で、出口の光を見つけることができました。もしも保育園の入園が決まっていなければ、(愛知県豊田市の母親が三つ子の一人を虐待死させたとして実刑判決を受けた)三つ子事件よりも先に、虐待死事件を起こしていたかもしれません。
入園するまで外出は思うようにできませんでした。いつまで続くか分からない暗闇の中でたった一人、孤独でした。もしも、あの(虐待死事件を起こした)ご家庭にも保育園の入園通知が届いていれば、お母さんは犯行を思いとどまれたのだと思います。
父親を、家庭に返してほしい
どうしてここまで、多胎児家庭が追い詰められてしまうのか。私の場合は子育てに必要なマンパワーが足りなかったからです。夫は出社すると、終電近くまで戻ってきません。彼が定時で退勤し、一緒に育児をしてくれれば助かったと思うことがあります。信頼できる人が近くにいれば、母親の危険リスクが下がります。社会には、父を家庭に返していただきたい。そう思っています。
私の今までの経験を例えれば、長いトンネルです。妊娠が分かり、光の中。双子と分かってトンネルの入口。出産のときには入口の光が消えて、暗闇に包まれる。看護師さんのもっているランタンは明るかった。産後ケアセンターは高いお金で光を買った。自宅に戻り暗闇の中。実母と義母の優しい灯り。母が帰り、家族4人の暮らしが始まると真っ暗闇。足下は崖だったと気づく。夫のもつランタンの光は頼りなく、照らしてほしいときにいない。永遠に続く暗闇の中、早く楽になりたいと思っていたときに届いた保育園の入園通知。出口とおぼしき光の片。入園までなんとか、生き延びよう。そして入園日から出口まで、一緒に伴走してくれた保育士の存在。3歳の誕生日がトンネルの出口でした。
抱え込まず、自治体に相談を
最後に、多胎児家庭の皆さんに伝えたい事があります。悪いのは無理のできないあなたじゃない。無理を強いる社会の仕組みです。相談することは恥ずかしいことではありません。解決の糸口を見つけるためにも、夫婦だけで抱え込む前に、自治体に相談してください。
そして、社会のみなさん。多胎児家庭に優しい社会、それは一般のご家庭にとっても子育てしやすい社会だと思います。人口のわずか1%程度でしかない私たちのことですが、多胎児家庭の抱えている負担についてご理解いただき、ご支援をお願いいたします。ありがとうございました。
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