〈変わる乳児院・後編〉預けてよかった。親子で笑顔でいられるのは、あの半年があったから

(2022年5月5日付 東京新聞朝刊)

長男(左)、長女(中)と一緒に洗濯物をたたむ滝沢友紀さん=東京都杉並区で

 乳児院の存在に救われた母親の体験と、変化しつつある乳児院の役割を伝える連載です。〈前編〉では、第2子の出産後、ほぼ1人で育児と家事を担っていた母親が、産後うつになり、生後2カ月の娘を乳児院に預ける選択をするまでを追いました。〈後編〉では、その後の葛藤と気持ちの変化、そして地域に開かれた施設を目指す乳児院の今を伝えます。

退院しても一緒に暮らせず、悶々と…

 2016年9月末、生後2カ月の長女を乳児院に預け、産後うつの治療で都内の病院に入院した滝沢友紀さん(51)。芸人の夫・秀一さん(45)は朝から晩まで仕事、当時3歳の長男は都内に住む義母の元へ。家族4人は一時的にバラバラに暮らしていた。

 子どもの世話の心配から解放された友紀さんは、見る間に心身ともに回復した。「睡眠と食事を規則正しく取るだけで、こんなに元気になるんだ」と驚いた。翌月末に退院。その2日後には長男が義母の元から戻り、夫と3人の生活が再開した。ただ乳児院に預けた長女は段階的に家庭復帰を図るため、すぐには一緒に暮らせず、悶々とする日々が続いた。

生後2カ月の長女を乳児院に預けた滝沢友紀さん

 長女と会えたのは退院の約10日後、11月の初めだった。乳児院で1月半ぶりに対面した長女は少し顔つきがが変わっていた。友紀さんは会うなり大泣きされ、「責められているように感じた」。面談後、乳児院の職員に抱かれて喜ぶ長女を見るのがつらく、泣きながら帰った。「退院したらすぐ元通りになると思っていた。いつ帰ってくるか先が見えず、苦しかった」

転機はお食い初め 娘への職員の愛情

 暗い気持ちが吹っ切れたのは、乳児院が催した生後100日のお祝い「お食い初め」の日だった。尾頭付きのタイを前にニコニコ笑う長女。担当以外の職員も集まり、祝ってくれた。

 「長女がこんな笑顔を見せられるのは、施設の職員に愛情を持って育ててもらっているから」。友紀さんは胸が熱くなり、初めて素直な感謝の気持ちが湧いた。「私もメソメソするのはやめよう。娘が泣いても私は笑顔で過ごして、『この人といると楽しい』と思ってもらおう」。長女は同年12月から自宅への外泊が始まり、翌年4月に完全に自宅に戻った。

 あれから5年。長女は人懐っこい子に育ち、来春には小学生になる。「もし自分があのまま育てていたら、娘の成長を損ねてしまっていたかもしれない」。当時は幼い時期に離れて暮らしたことが、後の親子関係に暗い影を落とすのではと心配したが、杞憂だった。「乳児院に預けた、あの半年間があったからこそ、愛情深く子どもを育ててこられた」。感謝は尽きない。

乳児院は「地域の子育て拠点」 育児に戸惑う家庭にとって頼れる存在に

 乳児院は近年、子育て拠点の役割も担う。親子の遊び場の提供、相談援助、里親支援など多様な事業を展開し、地域に開かれた施設を目指している。

0歳児の部屋で、食事の準備をする職員=東京都新宿区の二葉乳児院で

定期的に親子交流会 子育て相談も

 東京都新宿区で、地元の社会福祉法人が運営する二葉乳児院。連日、午前10時の開所と同時に、「子育て広場」として開放する2階の一角を近隣に住む親子が訪れる。

 1階の入所児の居住区域で、0歳児が昼食を取る頃、2階の交流スペースでは定期的に親子の交流会を開催。交流会は、0歳、1歳、2歳の年齢別に、月1~2回ずつ、1日10組限定の予約制で、職員が子育て相談を受ける時間も設けている。

乳児院1階の入所児が生活する部屋を案内する都留和光院長

 都留和光院長(59)は「育児に戸惑う家庭にとって、乳児院が頼れる存在となることを目指している。子育てのスタート期から足を運んでもらえれば、つながりやすくなる」と話す。

幅広い事業で職員もスキルアップ

 乳児院の職員は9割以上が女性。24時間、365日、年末年始もない体制で赤ちゃんを見守るため、職員の働き方は大きな課題だ。

 「10年前は妊娠したら退職が当たり前だったが、今は子育てが落ち着くまでは日勤とし、キャリアを中断させない環境が整いつつある」と都留さん。子育て広場や里親支援など幅広い事業を行うことで、職員の技能も磨かれている。

コメント

  • この記事が広く読まれますように。 私も赤ちゃんと離れたくてすぐに保育園に頼りました。保育園に行ってくれて良かったと毎日思いました
    ぴ 女性 50代