〈坂本美雨さんの子育て日記〉41・思わず声を荒げた日 怒りの底に見つけた、自分のズルさ
独身時代から収集 子ども服大好き
わたしは子ども服が大好きで、ネットで子ども服パトロールをするのは至福の時。独身で子どもを産む気配もない頃から服を買っていて、友人に心配されたものだった。20代の頃フリーマーケットで見つけたペンギン柄のコートを大事に保管し、ついに去年の冬、娘がぴったりのサイズになった時には感慨深かった。ソニアリキエルのもので、たしか500円。10年以上たって娘が着ましたよ!と、そのお母さんに伝えたい。GAPでひとめぼれしたネコ柄ブラウスは、サイズアウトした時のことまで考えて2サイズ買ったのだった。これももちろん独身の時。
〈前回はこちら〉40・「ママみたいに上手じゃないから…」自分を卑下するのも成長の過程
そのへんにポイッとされ、反射的に
先日のこと、娘が気に入って履いていたミニーちゃんの靴がベランダに放置してあった。もうサイズも小さかったので「バイバイしようね」と言った途端、彼女がそのへんにポイッと投げたのだった。反射的に、声を荒らげている自分がいた。理解ができなかった。あんなに好きで履いていたのに、なぜ捨てる時にそんな乱暴なやり方なのか。とっておきたいと思わないのか? だとしたらあなたの好きとか大事とかっていったいなんなの? と、その瞬間はうまく言葉にできなかったがそんな思いがかけめぐり、悲しかった。
正義を盾に、執着を押しつけていた
わたしは娘の服をお下がりできずやむなく処分する時は必ず「お世話になりました、ありがとうね」と口に出し、本人やオットにまでありがとうと声をかけさせてから捨てるのが習慣になっている。それはわたしが特別物を大事にする性格というわけではなくて、思い出に対する儀式のようなものなのだ。そんな習慣も娘は知ってるはずなのに、なぜ!と思うとさらにいら立ち、必要以上に厳しく怒ってしまった。そしてもちろんその後、自己嫌悪に陥った。
4歳の彼女にとって、好きだったことと、最後まで大事にすること、は直結していないだろう。好きだったことはとっくに薄れていたかも、それとも好きだったからこそ別れと向き合わないためにわざと投げ捨てたのかもしれない。真意を知ろうとする前に、自分の思い出や執着を押しつけて勝手に裏切られたような気がして怒ったのではなかったか。しかも嫌になるのは「物を大事にすることを教えるべきだ」という正義を無意識に盾にしていたことだ。こうして自分の心を解いていくと無意識のズルさ、弱さが現れる。毎日娘は教えてくれる、わたしのことを。 (ミュージシャン)
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