〈パパイヤ鈴木さんの子育て日記〉2・子どもの目線で
僕は最初は子育てに興味がありませんでした。それには子どものころの環境が大きく影響しているようです。
父親と遊んだ記憶はゼロ
僕の父親はミュージシャンで、お昼すぎに出かけて夜中に帰ってくるような毎日。同じ家に住んでいながら1カ月会わないこともよくありました。当然子育てはできなかったでしょう。その証拠に、僕は父親と遊んだ記憶が一切ありません。
そんな僕がどうやって子どもと遊べばいいのでしょうか。思い出したのが、うちに下宿していたお兄さんや近所の友達のことでした。彼らは毎日僕に遊びを教えてくれました。手打ち野球やメンコ、こま回し、ドロケイ(鬼ごっこの一種)…。一緒に暗くなるまで遊んで泥んこになって帰る。僕は勉強はできなかったけれど、友達はたくさんいました。
母親の存在も大きかったですね。近所の子どもを集めて説教をしているのを見たことがあります。典型的な昭和のおばちゃん。全員自分の子どもだと思っていたのでしょう。酒好きで朝が弱く、お昼ごろに学校にお弁当を持ってくるような、ちょっといいかげんなところもありましたが、頼りになりました。
母親の口ぐせは「死にゃあしない」
母親の口ぐせは「死にゃあしない」。お金なんかなくていい、ぜいたくできなくても元気ならいい、ご飯を食べてりゃ大丈夫。そんな感じ。僕の「行き当たりばったり感」はそこから生まれたのでしょう。貧乏でしたが、母親のおかげで貧しい思いはしませんでした。
子育てをしない父親と、他人の子まで育てようとする母親。意外とバランスが良かったのかも。今はデジタルな時代ですが、そんな時こそアナログ感が大切だと思っています。何もない原っぱで1日中遊ぶことができる健康優良児が、かなり少なくなっています。
先日、息子がトイレットペーパーの芯でずっと遊んでいました。つぶしたり、くっつけたりしていろいろな物を作り、ボロボロになってしまった芯を、大切な宝物のようにおもちゃ箱にしまいました。
見ていて思い出したことがあります。大人にとってのゴミも、子どもにとっては宝物だと。子どもの世界を大人はもっと敏感に感じないといけませんね。「子ども目線」を、子育てや仕事に生かしていきたいですね。(振付師)